日本語をローマ字(アルファベット)で書いた人々

日本語の記述に用いられる文字は複雑で、漢字カタカナひらがなの3種、そして場合によってアルファベットや数字を組み合わせて表される。数千の字形が存在することは、幕末以来から日本の近代化にとって大いなる障害だと考えられており、これまで様々な識者によって日本語の優れた表記方法について論ぜられてきた。

通信技術の発展とその活用を妨げる膨大な数の活字を廃し、できるだけ簡潔な表記体系で記述することによって情報伝達の速度や明確さを向上させようとする試みがあった。そのうちの一つが音標文字論だ。日本語の表記をローマ字やカタカナ、あるいはひらがなに統一しようとするものであり、言うまでもないが全ては不発に終わってしまった。ヘボン式と訓令式の対立、かな遣いの差異やカタカナ論など、数多のイデオロギーが跋扈した結果、多くの支持を集める圧倒的に強い派閥が生まれることはなかった。結果として複雑化した難解な日本語を整理していくという形に落ち着き今にいたる。

当時の知識人の一人に田丸卓郎という物理学者がいる。東京帝国大学を卒業後、母校で教職についた男だ。彼は熱心なローマ字論者であり、日本語の記述にはローマ字を用いるべきという考えの元、彼自身の書いたローマ字表記の教科書を授業に用いた。現在は入手することができない稀覯本だが、ありがたいことに国会図書館のデジタルデータベースにてスキャンした内容が公開されている。ちょっと中身をみてみよう。

圧巻だ。目次から本文から全てがローマ字表記になっている。こんな書籍があの岩波書店から発行されていたのだ。

では当時の潮流のまま、ローマ字による表記が定着していた場合はどうなっていたのだろう。日本語のような音の種類が少ない言語をローマ字で表記した場合、確実に大量のシノニムを生んでしまう。その結果、もっとも使用頻度の高い意味だけが残り、それ以外の意味は消えてしまうように思う。小説1984に出てくるニュースピークのように、簡略化した言語では複雑な思考ができなくなっていたかもしれない。

とはいえ、初期の日本語表記系に用いられていた漢字文化はあくまでも当て字にすぎず、日本に漢字が伝わった4世紀頃にはすでにラテン文字は存在していた。その頃に漢字ではなくラテン文字やギリシャ文字を輸入していたのであれば事情は変わっただろう。アルファベットで書きあらわす言語として最適化された日本語が現れたはずだ。

日本語が多少なりとも影響を与えたクレオール言語や方言はわずかにだが存在している。ブラジル日系人の間で使われたコロニア語や、日本の台湾統治時代の影響を残すタイヤル語、日本語からの大量の借用語を持つパラオ語などのような言語を見てみると、やはり表記体系は言葉を表すのにさして重要ではないのかもしれない。