アメリカ中西部へいってきた 1 (アルバカーキ)

エストニア留学時代、アレックスというアメリカ人と一緒にルームシェアをしていた。正確に言えば部屋は異なるのでフラットシェアと呼ぶのかもしれない。彼がゴリゴリのアニメオタクだったこともあり、大学で開かれたウェルカムパーティでエストニアでは数少ない日本人を見つけてすぐに話しかけた相手が私だったらしい。あのころは一緒に旅行したり(十字架の丘へ一緒にいったのは彼だ)、毎日浴びるほどビールを飲んだり(その頃住んでたアパートの冷蔵庫は大量のビールが常にぎっしり入ってた)、アレックスが日本に滞在しているときは道にゲロぶちまけるくらい飲んだり(彼は日本酒に弱かった)、彼が大学院を卒業してふるさとのアルバカーキに戻ってからもSNSで連絡を取ったりしていた。いつかアルバカーキに行きたいよ、なんて言ってたけど、やっぱり気軽にいける距離じゃないし、ニューメキシコには直行便だってないしなぁ、と思っていた。

アメリカの観光地は数あれど、ニューメキシコ州アルバカーキになにがあるのか、たぶん知っているひとはほとんどいないんじゃないかと思う。実のところ私もあまり知らなかったのだが、ネットで調べてみると世界最初の核実験が実施されたトリニティサイトや世界最大の気球の祭典バルーンフェスタなど、なにやらおもしろそうな観光名所もあるらしい。トリニティサイトの一般公開は年に二回だけ、バルーンフェスタも年に一週間だけ、そしてそのどちらもちょうど10月の中旬に重なるのだ。彼とももう何年も直接会ってなかったし、せっかくだからとばかりに日本からアルバカーキまでの航空券を3ヶ月ほど前に購入した。値段は8万円ほど。アメリカン航空でシカゴを経由してアルバカーキまで向かうチケットが一番安かった。

たまたまタスクが多い一週間だったため、前日から一睡もしていない状態で関西空港にむかうことになった。出発当日の未明、研究室にのこり論文執筆に追われる学生とコンビニで買った夜食を食べながら「なんだかこれも学生時代らしくていいな」などと考えていた。自宅でシャワーを浴びて慌ただしく旅行の準備をし、何度も使用してだいぶ使い慣れた関空アクセスきっぷで今年6回目の関空に到着した。 関空から成田まではジェットスターとのコードシェア便であるらしい。LCCとのコードシェア便というものを使うのは初めてだ。指定された席につき、目をつむる。つぎに目を覚ましたときには成田空港の滑走路へ到着していた。眠気が退屈な機内での時間を限りなく縮めてくれたようだ。LCCは寝てしまうに限る。

成田空港に到着したら、そのままアメリカン航空のチェックインカウンターへ向かう。パスポートとクレジットカードをスタッフに渡し、預け荷物がないことを伝えてチェックインを済ませた。とくにすることもないのでそのままセキュリティチェックに進み、出国審査をうけて搭乗ゲートで次の案内を待つ。搭乗ゲートのまえにはすでにたくさんのアメリカ人がおり、意外にも日本人は少数派であるようだった。インバウンド観光客が増えているということなのかもしれない。

普通のエコノミークラスに乗ったが、各座席にUSBコネクタの電源だけでなく家庭用の電源ソケットまである。便利な便に乗ることができた。アメリカの航空会社はとにかく機内食が多い。頻度と量の両方が多いので空腹を感じる時なんて1秒もない。

シカゴ到着

シカゴの入国審査は冗談半分のやりとりがおおいことが日本人の間でもしられている。私がシカゴで審査を受けたときは「どこへ行くんだ?へぇ、アルバカーキ…?エイリアンを探しにいくのか?」と聞かれた。ロズウェル事件のことだろう。「それはよさそうなプランだね」などとクソ面白くない言葉を返す。こういうときに機転を聞かせた返答ができたらいいんだけど。なんて行ったら面白かったのかな。少し考えてみたけど、とくに思い浮かばなかった。とはいえすんなりと入国ができたのでよしとしよう。

入国審査はその国の性格をよく表していると思う。審査官がほとんど質問しないし適当に開いたページにスタンプを押すフランスの入国審査、要人警護の候補者選びかと思うほど細かく無数に質問を繰り返してくるイギリスの入国審査、いろんな国があるものだ。

せっかくだからシカゴの観光だってしたいのだけど、乗り継ぎの時間が4時間というとても微妙な接続なのだ。市街地への列車はあるけど往復で一時間くらいはかかるだろうし、迷子になって遅刻したら危ないかもしれないと思って空港にのこることにした。そもそもシカゴに観光名所なんてなんにもないんだから別にいいだろう。名古屋出身の人に「名古屋の観光名所って何があるの」と聞くと聞かれた名古屋人は死んでしまうという話がある。シカゴもそんな感じだ。

アルバカーキへの出発

シカゴのオヘア空港を出発する時間がどんどん近づく。そしてそれは過ぎてしまった。搭乗ゲートの液晶モニタには出発時刻が変更になったと表示されている。アナウンスに耳を傾けると、使用機材の到着遅れが発生しているという。空いたベンチに座ってノートPCをひらき、アレックスに到着の遅れを知らせる連絡を入れた。

搭乗する客は皆ゲートの前で所在なさげに立ち尽くすしかない。一体いつになったらいつ乗り込めるんだろう。そう思いながらぼんやりしていると、空港スタッフが「別のゲートからの搭乗になりました」とマイクで周囲に知らせている。その言葉をきき、一斉に皆あたらしいゲートへ移動する。自分もそれについて行き、やっとのことで機内に乗り込むことができた。機内は全員白人だ。やはりアメリカの南部や中西部は人種の比率が結構偏っているのだなと感じる。

到着

随分遅れてしまったが、無事にアルバカーキ・サンポートに到着した。空港の正式名称がエアポートじゃなくてサンポートなのだ。砂漠の真ん中にある空港だからだろう。アレックスはきっと迎えに来てくれているだろう。そう思ってまっすぐ到着ゲートへ向かう。

エスカレーターでようやく地上についたとき、懐かしい顔が出迎えてくれた。何年も前にあったきりだった共通の友人たちもいる。私が初めて会う彼らの友人も来てくれていた。いつも一人旅ばかりしているので、こうして誰かが自分を出迎えてくれたのは感動する。もうアルバカーキは24時近くになっており夜も遅いが、彼らは遅くまでやっているレストランに連れてってくれるという。確かにしばらく何も食べてない。お腹も空いて来たしありがたく最初のアメリカ料理をいただくことにした。

アレックスたちの乗ってきたレンタカーに乗り込み、深夜のアルバカーキを走る。5分もしないうちに雨が降り出し、10分もしないうちに土砂降りになった。

フロントガラスに大粒の雨が打ち付けられ、驚くほど大きな音を立てている。ワイパーがほとんど意味をなさないほどの大雨で、もはや道路標識も車線も見えない。自分ひとりでこの道を走っていたら大変な恐怖だっただろう。

しばらく車を走らせてロードサイドのレストランに入る。こんな時間なのに客はしっかりいた。ニューメキシコっぽいものが食べたいなと思い、Tacoとペプシを注文する。ああ、アメリカらしい食事だ。味もいい。体にはたぶん良くないだろう。肉とチーズと炭水化物の三重奏、深夜に食べるものではないが、深夜に食べるからより美味しい。アメリカに来たのだから太って帰ろう。

食事を取りながら明日からの予定をあーだこーだと話あう。このアルバカーキの街を北上し、コロラドへ、そこから西へ向かっていつか見たいと思っていたThe Waveへ、さらに南下してネバダ州に入りラスベガスとグランドキャニオンへ、そこからまた大変な距離を走らせてアルバカーキまで戻ってこようという計画だ。GoogleMapによれば一周車で31時間だという。「31時間!?そんな距離運転できるわけないだろう、無理無理」と言ってはみたが、一緒にロードトリップにでる3人は余裕だよと笑っている。「この街からワラワラ(ワシントン州)まで車で行ったこともあるぞ」とのことだ。一体ワラワラに何があるというのだろう、と思ったが、考えてみたら私も小幌駅だの行川アイランドだのとわけのわからないところへ探訪するのが好きだった。人のことはいえない。

レストランをでるころには雨はやんでいた。予約しておいたホテルに送ってもらい、長い1日を終わることにした。楽しい1日だった。エストニアで一緒に住んでた頃を思い出す。あの頃は二人ともなんの責任もないただの学生で、毎日毎日本当に遊び呆けてた。今はお互い所属組織から給料をもらって生きる社会人になってしまった。あの頃に戻りたいなと思いながらベッドに潜り込んだ。

つづく