セルビアからモンテネグロまでの夜行列車にのった
かつて隆盛を誇った夜行列車という移動手段は現在の日本ではほとんど絶滅しており、毎日運行されているのは特急サンライズ出雲・瀬戸のみになっている。それは日本に限らず多くの国でも同様の状況で、飛行機が環境に優しくないという意見が出るようになってきた最近では改めて見直されているものの、それでも便利に使える場面は非常に少ない。出発が極端に遅い時間だったり、到着が極端に早い時間だったりするととくにすることのない駅のプラットフォームで深夜まで列車を待ったり未明に到着してしまえばホテルやお店の開くまでの時間を寒さに耐えて待たなければならないということもある。いずれにせよ近年では便利とは言いがたい夜行列車の一番の魅力というのはやはりその著しい旅情であり、夜行バスや近距離を飛ぶ飛行機に比べればその旅情ネスの高さはいまさら言うまでもない。私は夜行列車が好きだ。
セルビアの首都ベオグラードから、次の目的地モンテネグロの首都ポドゴリツァという街までは1日2本の列車が結んでいる。朝出発して夜到着する昼行便と、夜出発して翌朝に到着する夜行便。夜行列車の夜8時出発という時間設定も便利そうなので私は今回この夜行便を使って移動することにした。夜行バスも出ているが、この2都市は元々同じ国だったとはいえかなり距離があるし山岳地域を挟んでおり都市間を結ぶ高規格道路もない。かなり時間のかかるルートなのでリクライニングしかできないバスでの移動は考えただけで憂鬱になる。
この鉄道はネットでの予約ができない上に自動券売機のようなものもないので直接駅のカウンターまで出かけて予約する。当日でも予約可能だが、寝台の数には当然限りがあるため事前に購入しておけると安心できる。 料金は5000円程度。運賃が2500円に二人部屋のベッドひとつが2500円。ホテル代が一泊分浮くことを考えると一人部屋の個室でもよかったなと思う。チケットの予約は簡単で、前述の駅の券売所で「ベオグラードからポドゴリツァまで」と「明日の夜」と「二人部屋」を伝えれば発券してもらえる。名前を聞かれるが、パスポートを直接渡してしまうほうが楽だろう。近くにはATMもあるし、切符の会計には当然クレジットカード(V/Mのみ)もつかえる。
始発駅であるベオグラード中央駅は現在建設が進んでいるが、既に駅としての機能は持っており全ての都市間鉄道はこの駅を始点に運行されている。名前に反して街の中央にはないものの、歩いても20分か30分でたどり着ける。出発までの時間を潰せる場所が抱負にあるエリアではないが、駅構内には一件のカフェバーがある。もう当面セルビアにもどる予定もないのであればセルビアン・ディナールをここで使い切ってしまうといいかもしれない。私も頑張ってみたがビール二杯程度では使い切れなかった。日本円にして600円ほどの現金が余ってしまった。キオスクでもあればよかったが、とくにみあたらない。使い道のない現金を持ち歩くというのは邪魔で仕方ない。
出発時刻の15分前にプラットフォームにやってくると、そこにはすでに列車がいた。どの車両にもギッチリと落書きがされている。思ったより長大な編成だ。しかし車内に人の気配がない。オフシーズンなので利用者も少ないのだろう。ほかの旅行記を見るに、夏のオンシーズンを迎えると利用客であふれて切符の予約も取りづらくなるという。内陸国なのでアドリア海まで連れてってくれる鉄道の需要自体は根強いのかもしれない。
私が予約した2寝台の部屋には既に先客がいた。60歳くらいの男性で、セルビア語を話していたのでこのへんの人なのだろう。私が入ったとき、部屋は猛烈にたばこ臭かった。燻煙機に閉じ込められたかのようだ。旧ユーゴスラビアの人々はものすごい量のたばこを吸う。レストランなどでは気持ち程度の分煙がなされているものの、副流煙で燻されるのはこの地域の旅行で避けられない。わたし自身はたばこを吸わないが、たばこを吸う人のことをどう思うこともない。しかし部屋に煙が充満していると服がたばこ臭くなるのでそれは迷惑だなと思う。焼肉は好きだが焼肉の匂いが服につくのはだれだって嫌なものだろう。まぁしかしそれは後から来た私の問題でもある。キャビンには灰皿だって置いてあるし同室のオッサンも当然にセルビア人の愛煙家が部屋にくると思っていたのかもしれない。べつにいいかと思い直して部屋の隅にスーツケースを置き直す。
部屋は狭い。たたみ二畳ほどのスペースに細身の二段ベッドが収まっているような状態で、オッサンはすでに下の段に寝転んでいたので私はハシゴで上にのぼりそこをキャンプ地とする。とてもじゃないがスーツケースを広げるようなスペースはない。オッサンはきれいな英語を話している。ちゃんとした英語教育を受けたひとなのだろう。
列車は定刻通り出発する。ほどなくしてドアがノックされ、解錠してノブを回すと太った車掌が立っていた。よくわからないが切符のチェックだろうと思って手渡すと、車掌の手にしたプラスチック製の青いチケットケースにオッサンの切符とまとめて収納し去っていった。あっというまの検札だった。このあとは国境を越える地点前後にあるセルビア出国手続きまでは自由時間となる。とはいえこの列車には食堂車やラウンジがあるわけでもない。ポドゴリツァ駅の到着は早朝であるため、また出入国の手続きは深夜に実施されるためこのタイミングで寝てしまうほうがよさそうだ。ベッドの寝心地は意外にもなかなか良い。
列車はかなり古く、通路もトイレも非常に暗い。日本のサンライズ出雲だって相当古い車体だが、モンテネグロ国鉄の寝台車は輪を掛けてボロい。丁寧に大切に使っているという感じはない。ユーゴスラビア時代のものだろう。西ヨーロッパで乗れる寝台車に比べると非常に見劣りする。安いわけだ。寝台チケットの選択肢として、6人部屋4人部屋二人部屋一人部屋の四種類があるというのは書いたとおりだが、その選択肢で部屋のクオリティが変化するわけではない。二人部屋はボロい部屋に二人で泊まるということであり、一人部屋はボロい部屋に一人で泊まるというだけである。大差はない。車内には清潔な洗面所もないので歯磨き等は事前に駅で済ませておくとよい。私は迂闊だったためひどい臭いがする真っ暗なトイレで歯を磨きミネラルウォーターで口をゆすぐことになった。
夜中2:40ころ、ドアをノックする音が聞こえる。開けてみるとそこには誰もいなかった。とはいえ列車は停車しているし、まだ外は真っ暗だけどタイミング的には国境を越えるくらいなので出国の手続きをするから起きろということだろう。パスポートを用意する。まもなくしてセルビア警察の出国審査官が一人キャビンにやってくる。手元の端末でパスポートを読み取り、滞在に問題がなかったことを確認して出国スタンプを押してくれた。こんな深夜に大変ご苦労様である。その後また1時間ほど列車が走り、モンテネグロ国内に入ってから今度はモンテネグロ警察の入国審査官が2名でやってくる。出国に比べると多少丁寧に確認しているような雰囲気はあるものの、床に置いてあるスーツケースを軽く電灯で照らし軽くパスポートを検めるだけだった。質問としては「COVID?」と聞かれたものの、私が「Yes, I have vaccination certifcate here」と言いながら接種証明を渡そうとしたが特にそれをチェックすることもなく「もってるならOKだ」とばかりにスタンプを押したパスポートを返してくれた。
目を覚ますと列車は止まっていた。窓からはすでに朝の光が差し込んでいる。キャビンのドアを開けて通路に出てみると、車窓から見える眺めは山間の小さな村に雲海が広がっており大変素晴らしいものだった。バール鉄道がヨーロッパ屈指の景勝区間と言われているだけある。とくに駅でもない場所に止まっているところを見るに、対向列車の通過待ちをしているのだろう。同室のオッサンは「遠くに見える高速道路は中国人が作ったんだ」と言っていた。
対向列車が通過すると、自分の乗っている列車がすぐに発車した。雲海の上を走る列車は空を飛んでいるかのようで非常に気持ちがいい。こんなボロい列車ではなく、普通に観光列車として開発してみてはと思ってしまう。十分なポテンシャルがあるのにもったいない路線だ。
ポドゴリツァ駅に到着する。この駅は終点のバール駅の一つ手前であるため、うっかり寝過ごさないようにしたい。タクシーの客引きがプラットフォームにまでいるが、無視して駅を出よう。駅前には早朝から営業しているレストランが数軒ある。
モンテネグロの名物料理であるマスのフライを食べる。モンテネグロでは山がちな地形による渓流や雪解け水の溜まる湖などで採れる新鮮な魚が名産物らしい。たしかにこれは美味しい。朝から食べるものとしてはヘビーなものの、淡泊な味なので美味しく食べられた。バルカン半島諸国では肉ばかりの食文化だったのでこれは嬉しい。
夜行列車や夜行バスの宿命だが、到着は大抵早朝になる。お昼頃であればアーリーチェックインを受け入れてくれるホテルも多いと思うが、ここまで早い時間帯のときはちゃんとした外資系ホテルチェーンを選ぶと対応してくれることがおおいように思う。深夜に何度もパスポートコントロールで目を覚ましたり、ガタゴトと揺れる寝台車では熟睡するのはなかなか難しいし、最初の1泊目だけでもまともなホテルを選んでおくことをオススメしたい。私は駅から徒歩でアクセスできるラマダホテルを予約した。予約時にアーリーチェックインを依頼しておいたところ、当日朝8時前なのにチェックインさせてもらえた。長旅で疲れた心と体を落ち着けて、浴槽にお湯をためてのんびりとお風呂にも入れる。学生時代に使った東京駅発京都行きの夜行バスに乗って到着した京都駅で、早朝に入った京都タワー大浴場のことを思い出した。同店がコロナ禍で閉店してしまったことが悔やまれる。