2014-02-18

SNSから距離を置いてみる

人には承認欲求がある。誰かに認められたり褒められたりすることの心地よさを常に求めている。それが満たされるのがFacebookやTwitterやmixiなどのSNSだった。

「旅行に行った!」
「〇〇で優勝!」
「××で飲み会!」
「〇〇へ出張!」
「商談を成立させた!」などと書き込み、他人に自分の人生の豊かさをアピールしたい、それを羨ましく思われたい、そういう人間の気持ちがSNSを盛り上げ、興隆させた。

私も同じようにFacebookやTwitterのようなSNSで他人からのアクションがあったときは嬉しく、無いと寂しく、誰か他の人が衆目をひきつけていると妬ましくなる。ただ私は、Facebookに毎日投稿される誰かの成功やきらびやかな日常を素直に喜べず、日々嫉妬と羨望が入り交じったどす黒い気持ちで胸がいっぱいになっていった。知り合いの楽しい近況を見たくなかった。

私にとってSNSの居心地が悪い理由はそれだけじゃない。誰かに嫌われることを極端に恐れているというのもある。何年か前にmixiを退会したのも似たような理由だった。ログインしたらまずマイミクの数を嫌なのに見てしまい、「誰かいなくなってたりしたらどうしよう…」などと考えることにひどく疲れてしまったのだ。あの頃はmixiから逃げようと思ってすぐに退会したので、mixiメッセージでのつながりだけの友人関係はすべて消えてしまった。

Twitterでもそうだった。フォロー・フォロワーの番号が嫌でも目に入ってしまい、数字が減るたびに「誰かが自分の投稿を読んで不快になって解除したのか」などと考えてしまう。

人には普段見せない自分の弱さや醜さをなくすことはきっと難しいだろうと思う。こんなの性格に起因するものだ。それならば不愉快になる原因を取り除いていけばいい。そのときSNSを一切やめてしまえばいいのだと気がついた。

FacebookもTwitterも退会したい。ただインターネットの世界で生きていく上では無くせないアカウントだ。現実世界の交流もいまやSNSの存在を前提にしている。また、Facebookはメッセンジャーとしてはファイルの送受信ができたり複数人で会話ができたりと高機能なうえに使用者も多く、自分一人だけが使わないということは難しそうだ。なのでメッセージ機能だけはいつでも使えるように、メールでメッセージの受信を知らせてくれるように設定してある。Twitterも同様に、誰かからリプライやDMがあったときにメールを受信するように設定した。とりあえずこれで友人関係を壊すことなくSNSから離れることができる。その二つのリンクをブックマークから削除し、ログインを自動で行わないように設定した。たとえ覗いてみたくなってもIDとPWを入力する手間が私を面倒くさがらせてくれるだろうからだ。いつか完全に決別できる時が来るまでは休止ということで放置しておく。TumblrもSNSではあるがもともとほとんど他人をフォローしていないので問題はない。これからもただの便利なブログとして使っていく。LINEは使ったことないし、mixiもGREEもモバゲーだかなんだかもやっていない。現実の人間関係だけが残った。これなら電話と電子メールでいいじゃないか。近くにいるなら直接会おう。

情報源はRSSリーダーひとつだけに収まった。シンプルで便利だ。これとWebメールだけで私には十分なのだ。

私がTwitterやFacebookから消えたところでだれが問題にするというのだろう。誰が気づくというのだろう。SNSは便利で楽しいものだけど、私には重たかった。コミュニケーション手段であり、自分を表現する手段であり、足枷だった。