十字架の丘へ

私が今住んでいるタリンから南へ400km、2つ隣の国リトアニアの田舎町シャウレイの中心地からさらに12kmほど離れた何もない草原にいきなり現れる小さな丘があります。十字架の丘(Hill of Crosses)と呼ばれるその地は、ソビエトに弾圧されつづけたリトアニアの宗教の歴史をものがたる遺産となっているのだとか。

土曜日の午後3時、とくにすることもない週末を自宅でぼんやり過ごすのも嫌だなぁと思った私は、おもむろにバス会社のサイトを開き、タリンからリトアニアの田舎町シャウレイまでのチケットを購入しました。出発は午後6時半。電源とWifiと無料のコーヒーマシンが付いたデラックスなバスLUX Expressで小旅行です。

タリンからシャウレイまでの直行バスはありません。なのでバルト三国の中心地とも言われるラトビアの首都リガで乗り換えます。一年ぶりとなるラトビアの町並みは、私が前回一旅行者として訪れたときとは違って見えます。たぶんエストニアに数ヶ月住んだからかも。なんだかんだ言ってぶっちゃけ言語以外ほとんど同じ国ですからね。文化の差で言ったら東北と九州の差よりも小さいかもしれません。

ラトビアの首都リガに着いたのは同日23時。ここからカリーニングラード行きの夜行バスに乗ります。カリーニングラードにも行ってみたいのですが、ロシアは入国のたびにビザが必要なのですこし面倒ですね。今、日本とロシアは安倍総理とプーチン大統領の何度も行われた会談のおかげか急速に親密になってきているので、いつの日かビザ無しでの渡航ができるようになるのではないでしょうか。日本は世界で最も「ビザ無し入国」ができる国の数が多い国のひとつですし、ロシアもそうなってくれたらいいなと思います。

さて、シャウレイで夜行バスから途中下車しました。バスのターミナルは街の中心部にありますが、到着したのは深夜2時過ぎ。街に地図もない上に持参したバルト三国のガイドブックでもほとんど取り上げられない小さな街のため情報は限られています。お店はいくつかのナイトクラブを除けばすべて閉まっています。

エストニアから出ているのでケータイも使えないしWi-Fiもありませんから事前に見たGoogleマップの表示を頭の中で思い出しながら勘を頼りに進んでいきます。といっても直線道路なのでその側道を一歩々々進んでいくだけですが、シャウレイの街を一歩出るとそこは完全な暗闇。街頭が失せ、曇天が月と星の光を覆い隠し、さらに四方を隙間なく濃霧で包み込まれました。明かりは携帯電話のLED照明機能と時たま通る自動車のヘッドライトだけ。この漆黒の闇の中を十数キロも歩くのかと、絶望的な気分になります。気温は氷点下、それでも意を決して歩き進めます。

ひたすら歩きます。アメリカ人のクラスメートと二人で行きましたが、これは一人ではきっと相当つらい道程になると思います。真っ暗闇のなかを足音と息だけを聞きながら立ち止まることなく歩きます。立ち止まると氷点下の気温が肌を刺すのです。私はかすかに後悔を感じていました。もちろんそんなことは歩いてる最中に言いませんが、二人共同じことを考えていたと思います。言うまでもなく計画建てて街から一時間おきに出ているバスやタクシーを使っていくのが普通の方法です。2月の厳冬期の深夜に十字架の丘へ向かうのは危険です。徒歩で訪れる際は夏か、冬でも必ず日中にしましょう。シャウレイから十字架の丘に行くまでは菜の花畑が延々と続く何もない道路です。ガソリンスタンドとモーテルが一つづつありますが深夜はどちらも閉まります。

ひたすら歩き続けて脚の関節が軋み出し、足の指に違和感を覚え始めたころ、遠くの方にかすかな光が見えました。濃霧のおかげで地上の光は空高くまで反射しているようです。そこを目指してさらに2キロほど歩き続けると、ついに十字架の丘が見えてきました。日の出の時刻はまだですが、山の稜線がぼんやりと見えるようになってきたころです。

ぼんやりながら見えてきたその丘に近づいていきます。白み始めた夜明けの光の中で、ただの一人も観光客のいないその丘を覆うように夥しい数の十字架が静かに佇んでいました。

この地に十字架が立てられた理由は諸説あるそうですが、すくなくともリトアニアの歴史における民族弾圧への蜂起、宗主国への反駁、独立運動の犠牲者に対する弔いなど、この国の歴史と希望と愛を受け入れる場所だったことは確かだそう。ソビエト政府により幾度となく撤去されたそうですが、私達のように夜闇にまぎれて丘にのぼり、また新たな十字架をたてつづけていたと言われています。

私には特に信仰している宗教はありませんが、それでもこの地に訪れたことは間違いなく正解でした。壮絶ともいえるこの丘の姿は絶景なんて言葉で言い表すのは多分に失礼な気持ちになります。観光客の置いていった鈴なりのロザリオや敬虔なクリスチャンによって設置されたと思われる大型の十字架、キリストの磔になった像や絵画なども置かれています。なんにせよこの地は植民地として支配されていた地域のキリスト教徒たちにとってのかけがえのない聖地であることはあきらかです。

日が昇り、暗闇に包まれていたこの草原に冬の朝の鋭い空気が立ち込めるころ、私は帰りの12キロの道のりを歩かなきゃいけないのか…、とぼんやり考えていました。夜通し歩いてきたせいで足は痛いし冬の北欧は寒いのです。

いつ来るのかわからないバスを待つのか、インターネットも電話も使えない状況ではタクシーさえ呼ぶことはできません。 絶望的な気分になりながら、たった今見たばかりの十字架たちに背を向け、シャウレイまでの帰路を考えます。 明るいので安全だけど、とにかくべらぼうに寒い誰も居ない大草原の真ん中で嘆いていると、近くの観光客相手のレストランらしき建物におばさんがいるのが見えました。早朝にこんなとこ来る人は居ないので、できるだけ無害な旅行者だと思ってもらえるようにガイドブックに書かれていたリトアニア語の「おはよう」を呼びかけます。

するとおばさんは少し怪訝そうな顔をしてこちらを見ています。通じるかどうかわかりませんが(おそらく通じないでしょう)、バスの時間でも教えて貰おうかと思い、「シャウレイ、We want to go to Šiauliai…」とゆっくり話しかけます。

東ヨーロッパのすばらしさがここで光りました。おばさんはちょうどシャウレイの中心部にこれから出勤するところでした。 奇跡的にそのおばさんの車に乗せてもらえることになり、帰りはなんともあっけなく10分もかからずシャウレイへ到着しました。きれいな直線道路を100km/h超で飛ばしてくれた親切なマダムにはお礼してもしきれません。

戻ってきたシャウレイですが、この街は小さく、街というかなんというか、日本の寂れた地方都市よりもなんにもないところです。この街に来る物好きは大抵十字架の丘目当てでしょう。ほかにはいくつかの博物館があるくらいで、街自体にもあまり活気がない寂しい街です。日曜日はその博物館も閉まってしまいます。もしシャウレイに行きたくなっても日曜日は避けるべきでしょう。

その後はシャウレイ市内を歩きながら、観光名所と言われる聖堂射手の像を見学しました。

バスなら片道2000円くらいで隣の国までいけますので、旅行好きにはバスが便利!ecolinesLUXexpresseurolinesidBUSなど、国際バスを使うと格安の料金で、時間とお金を節約しながら旅行が可能です。飛行機だと郊外の空港まで移動する手間がありますが、基本的にバスターミナルは都心に設置されていますし、夜行バスならホテル代も一泊分うきます。長距離バスは電源やwifiがありますから、慣れればけっこう便利な移動手段です。西ヨーロッパだけならバスよりは高いですがEurailもいい感じです。やっぱり旅情を演出するには列車ですよね。電車でベネチアに行った時、自分の乗った電車が海の上を走っているさまにとても感動しました。

旅行、大好き!