中央アジアにいってきた 2 (カザフスタンからキルギスへ)
アルマトイ国際空港でタクシーを捕まえ、とりあえず街へ向かうことにした。まだホテルのチェックイン時刻になっていないので、地球の歩き方に書いてあった博物館に向かう。
空港から直接やってきた国立中央博物館。このアルマトイの街でもっとも大きい建物の一つで、入場料金も安いし展示されている品々もそれなりに多い。そしてびっくりするくらい人がいない。館内の撮影が有料で、しかも撮っていい場所がエントランスだけというよくわからない規制がある。とはいえ、撮影したくなるようなものは展示品の数のわりにそれほどないので困ることはなさそうだ。ここにはアンティキティラの機械もロゼッタストーンも曜変天目茶碗もない。ネットの情報によると、このアルマトイの街が首都だったときに比べて収蔵品の数や質は落ちたという。立ち止まってじっくりみたくなるような展示品もないので1時間ほどあれば十分見て回れるかなという印象だった。
博物館をあとにし、雪に覆われた公園をぬけて15分ほど歩いたところにロープウェイの乗り場がある。街を一望できるコクトベの丘にいってみる。アルマトイで一番の観光名所だ。コクトベは現地の言葉で青い山という意味らしく、海抜千メートルのその丘の上はコクトベ公園として整備されているらしい。
ロープウェイの乗り場にも観光客は誰一人としていない。こういう施設にありがちな往復割引がないため一人分の片道切符をカウンターで購入し(250円ほどだがちゃんとクレジットカードが使える)、ほどなくやってきた登りのロープウェイに乗り込む。当然のように乗客は私一人だった。
ゴンドラは住宅地を下に見ながらすすんでいく。結構高いのでヒヤッとするが、まったくもって安全な乗り物だ。風もないアルマトイの空をなめらかに横切るさなか、下りのゴンドラとたまにすれ違うが案の定毎回だれも乗っていない。本当にこの街に観光客はいないみたいだ。オフシーズンではあろうけど、しかしこんなに閑散としているものだろうか。平日とはいえ年末だし、クリスマス休暇で遊んでいるカザフ人はどこにいるのだろう。
頂上駅に到着する。山の上があまりにも楽しいので誰も降りてこなかったというわけではないようだ。アルマトイの街を観光地にありがちなアイラブどこどこのモニュメントもある。順番待ちはいらない。
コクトベ公園をうろうろしているとビートルズの銅像に出会う。この国にビートルズは来たことないそうで、観光レビューサイトの多くで「なぜここにビートルズが?」という疑問で埋め尽くされている。イベントにあわせてつくられたそうだが、調べてみてもイマイチよくわからないモニュメントだった。帰りはバスで街までもどった。街の観光はこれでほぼおわりだという。
誰かわからない像だが目の前を通ったので写真をとっておいた。帰国してから調べてみると、Moukan Toulebaevという作曲家の像らしい。検索するのにすこし苦労した。何でも書いてある英語版Wikipediaにも載っていない作曲家がこの街におり、銅像まで造られるほど愛されていたのが興味深い。
こんな曲を作っていたようだ。また、このムカン・トゥルバエフ氏、昔のカザフスタンの国歌を作曲した人だという。
時刻は午後五時半。街が薄暗くなってきたので適当に目に入ったレストランバーに入った。
あまり旧ソビエト感のないヨーロッパ風の店だ。店内は暖かく居心地がいい。店員はみな親切で、注文時に私がカザフ語もロシア語も通じない客だとわかると、迷惑そうな顔ひとつ見せずスマホの翻訳機能で料理やバスのルートを説明してくれた。
「ボナペティ」と言いながら店員がハンバーガーを目の前においてくれる。とてもおいしい。せっかくなのでカザフっぽい料理も試してみようとおもいビールのおかわりと一緒にこのカルトーシュカをください(ロシア語でジャガイモをカルトーシュカということだけ憶えていた)と頼んでみる。運ばれてきたジャガイモ料理は独特な見た目をしていたが、これもまたとてもおいしかった。
バスに乗り込み予約したホテルへ向かう。町外れにありアクセスは微妙にわるい。さっきのレストランからホテルの近くに停まるバスを捕まえるためのバス停までがまず遠い。アルマトイの街は典型的なソビエトの都市構造のそれで、道が太くゆったりと作られていて歩くにはなかなかしんどいのだ。
たくさん歩いてたどり着いたホテルのチェックインでもスマホの翻訳機能で受け付けをされる。この国における外国語というのはロシア語なので、英語で応対しろというのはきっと傲慢な態度なのだろう。もちろん文句をいうようなものでは決してない。 安いわりに清潔でちゃんと広かった。朝食つきで一泊2000円。一泊眠るだけの場所としては十分すぎる部屋だった。
朝食をすませてチェックアウトする。暖かいホテルを後にするのは後ろ髪を引かれる思いだが、早朝のアルマトイを歩きながらこの街で一番大きなバスターミナルを目指す。次の国へ向かうバスのチケットを買いに行こう。
ビシュケク行きのチケットを買う列にならぶ。キリル文字だが、ビシュケクと大きく書いてある窓口があるので迷うことはない。この窓口ではパスポートを渡す必要がある。バンで適当に移動するようなイメージではあるが、しかしこれでも国際線なのだ。シェンゲンなどはなくあくまでも国際線としてパスポートを所持した上での出国と入国をこなさなければならない。国際線バス乗り場は乗車券をチェックしないと入場できないようになっているのだ。
窓口でお金を支払い記名された乗車票をうけとる。「касса(カッサ)」「Алматы(アルマトイ)」「Бишкек(ビシュケク)」以外の単語は自分の名前以外なにもわからない。しかしこれがあればちゃんとビシュケクには行けそうだ。値段は500円にも満たない。中央アジアの物価は安いのだ。
バスという言葉で日本人が想像する高速バスとはちがい、普通の大きめのバンに乗り込む。20分ほどかかっただろうか、全ての席がうまりバスは出発した。かなりみっちり詰め込まれている。日本人はだれもいない。会話もない。バンはあっというまにアルマトイの街をとおりぬけて信号のない幹線道路をひた走る。老若男女10人ほどを乗せたバンは同じスピードでビシュケクへ向けて移動している。
そしてそれはかなり長い旅路になる。景色はかわらない。普通に飛行機が飛んでいる距離でもあるので、節約バックパッカーでもなければこの手段を使う必要などどこにもないだろう。狭いバンに詰め込まれたままじっとしているのはそれなりにつらい。同じ時間とはいえ新幹線で東京から博多まで行くのとはちがうのだ。
途中、カザフスタンからキルギスへの入国審査のため、国境付近ではバンから降りて自分の足であるく必要がある。手続きは多少行列しているが、そんなに長くは待たない。ただここに自由に使えるトイレはなさそうだった。ビシュケクまではあとわずかの距離なので、緊急事態でなければもうすこし我慢しよう。
入国審査をすませキルギス側へ歩いてくると、間違いなくタクシードライバーがついてくる。「ビシュケク?」「タクシー?」もちろんいつものことなので完全に無視してずんずんあるき、もとのバンを待とう。それほどしつこくはつきまとってこないはずだ。写真にあるような警備員の詰め所らしきところの前でほかの乗客と一緒に寒い中待っていると、やっとのことで見覚えのある車がやってきた。
アルマトイとビシュケクを結ぶバンを捕まえることができた場合、料金を支払う必要はない。急いでいて早く来た別のバンに乗りたいときは別料金とはなるらしいが、それもまた問題ないらしい。元のバンがいつまでも乗客を待っていたりはしない。タクシーで向かった人が多かったのか、あるいはホテルや親族の迎えがあったからなのか、アルマトイのバスターミナルで乗り込みここまで数時間おなじバンで過ごした人々はその多くが姿を消していた。ビシュケクのバスターミナルに向けてバンは最後の道のりを走る。ここからはビシュケクの任意の場所で下ろしてもらうことも可能だ。バンは街を突き抜けて町外れのバスターミナルへ向かう。わたしはどうせ徒歩で多少引き返すことになると思い、中心地にある公園の近くでドライバーに声をかけて下ろしてもらった。
というわけでやっとのことでキルギスの首都ビシュケクに到着した。時刻は15時。ちょうど5時間の道のりだったようだ。このビシュケクという街、検索してもとくに著名な観光地がでてこない。しかし美食の街として知られているらしく、つまり名古屋みたいなものなのだろう。昼ご飯というにはすこし遅くなってしまったが、せっかくなので昼食を取れる場所をさがしてみることにする。