荷物の処分をすすめている

最近身の回りの持ち物をどんどん処分している。電子データであっても太古の請求書みたいな明らかに不要なデータなら大した容量じゃなくても削除し、家具や家電のようなものも大小関わらず売れれば売り、値段はつかないだろうとおもったものは廃品回収に出したりしている。もともとモノをたくさん持つタイプではなかったが、それでも日々暮らしていると気づかぬうちに荷物は増えている。潜水艦は乗組員が持ち込む私物によりその重量がどんどん増えていくのだという。人間なにもせずぼんやり暮らしていても身の回りの荷物は増えていくのだ。マクスウェルの悪魔はあなたの家の玄関に住んでいないし、クローゼットのエントロピーはぼんやり生きていても無限に増大する。自分の意思で、自分の力で意識的にモノを管理する必要があり、ときめかない物品の処分を断行しなければならない。Terminate with extreme prejudice、お金を払えば同じモノが手に入るならそれは不要、レンタルできるならそれは不要、恣意的なルールを敷いてためらわずに捨てることが肝要である。

個人的に好きな書籍の処分方法は地元図書館への寄贈だ。もちろん全ての書籍を受け入れているわけではないだろうが、普通の小説や技術書であればブックオフで二束三文で引き取ってもらったり資源ゴミとして処分するよりも、本にとって価値ある第二の人生を歩ませることができるように思う。書籍を管理するための施設で働く書籍管理のプロがその管理を引き受けてくれるわけだ。もちろん破損汚損がなければ通常通り貸し出し書籍として登録されるので、今後読みたくなれば予約して受け取ることができる。図書館を経由したあとで結局処分されることもあるだろうが、それはつまり他にも多数の(より劣化のすくない)同一書籍があるのだと思えば結局問題はない。一時期実家の近くにある葛飾区立お花茶屋図書館に一度にたくさん寄贈したときは、私の書籍がまとまっておいてあるコーナーが生まれていた。書籍整理週間にデフラグするまで一時的に置いておいたのだと思う。

モノを持たないという発想は今でこそ「断捨離」「こんまり」「ミニマリスト」といったワードが市民権を得ていることからもわかるとおりメジャーな思想になったが、ちょっと前ならヤマギシ会や原始共産主義のような怪しげな光を放つ言葉と結びつけられそうな概念でもある。個人的にはモノを積極的に捨てることを人に勧めるつもりはないし、所有欲を満たす物品購入も当然あると思うのでブログ以外では触れないように気をつけたい。わたし自身は身の回りにモノがないに環境しっくりきている。