中央アジアにいってきた 4 (ウズベキスタンからタジキスタンへ)

ウズベキスタンの首都タシケントに到着した。リュックサックを背負って出てきた若い日本人の男などカモにしかうつらないのだろう。タクシーの客引きが大挙して声を掛けてくる。空港出口で群れ、強引な客引きをするタクシードライバーがこの地球上で最悪の生き物の一種であることは論を待たないが、その最悪の生き物たちもまた生活がかかっているのだと思うと仕方なく感じる人もいるだろうか。しかし観光客相手のぼったくりタクシー業に依存する彼らの生活に協力するのは自らの手を犯罪に染めるのと同じことである。無視して空港近くの公共バスに乗ろう。在ウズベキスタン日本国大使館も「客引きしてるタクシーの利用は厳に控えろ」とアナウンスしている。荷物が多いとかでタクシーを使いたかったとしても、せめてYandexなどの配車アプリを利用しよう。

バス停からは4路線が頻繁に運行しており、15分ほどで行きたい方向のバスに乗ることができた。市街地ならタクシーに乗らなくても十分便利に移動できる。バスの車窓から眺めるタシケントの街は雨に濡れている。すこし肌寒いが、ちょっと前までいたハバロフスクの気温を思えば熱帯みたいなものだ。どうということはない。

ホテルにチェックインして荷物をおき、財布とスマホとパスポートだけもって街に出る。12月30日のタシケントは年越しの準備なのか結構混雑している。ローカルネタで恐縮だが上野アメ横のようだ。二枚目の写真のドーム状になっている建物の中が市場だが、入口には撮影禁止と明記されている。内部にとくに撮影されたら困りそうなものもないが、博物館でも写真撮影は別料金になっていたのでこれはこういう文化的合意なのかなと思った。ロシア文化圏でも地下鉄施設の撮影が禁止されていたり、北朝鮮では空港の撮影が禁止されている。それらの国々では交通施設は軍事施設に分類されている。この撮影禁止のドームも有事の際トーチカにでも転用するのだろうか。しかし天井はペラいので対爆性能は低そうだ。

タシケントから高速鉄道でサマルカンドへ向かう。どの出版社の世界史の教科書にも乗っているシルクロードにおける文化交差路だ。街全体が世界遺産にも登録されている。ところでこの手の「街全体が世界遺産」というフレーズはヨーロッパの各地にも点在していていまさら驚くようなものでも感動するようなものでもないかと思われるが、中央アジア地域ではこのウズベキスタンにしか存在しない。サマルカンドはそんな「街全体が世界遺産」となっている地域の一つだ。判で押したように石畳と尖塔と教会と広場でセットになったヨーロッパの歴史地区とはきっと違うことだろう。わくわくする。

駅の近くはややごみごみしていたが、観光名所の周囲は非常に良く整備されている。小さな雰囲気のいいお店が並んでいる。古都と言えるところはどこもみなそうなのか、京都みたいだなと考えながらタイル敷きの道を歩く。真冬だが太陽は暖かい。観光客は10月以降ぐっと減るらしい。どこに行っても並ぶことはないし(タクシードライバーの群れ以外は)騒がしくないしとても快適だ。

ふいにひらけた広場に出る。見覚えのある景色だ。地理や世界史の教科書で見るレギスタン広場そのものだ。これは実際に見てみると結構感動する。三つのイスラム神学校が向かい合うように建立されている。サマルカンドのシンボルたるこの広場は、間違いなく今回の旅のハイライトだった。旅行に慣れたら何見ても感動しなくなるのかというとそんなことはいまのところない。まだまだ楽しめる景色が地球にたくさんあり、それを見て回るだけで死ぬまで楽しく過ごせそうだと自信と希望がわいてきた。

サマルカンドブルーに染まるイスラム建築を見学していると、細い通路で高校生みたいなアジア人男性と目が合う。もしかしてと思って「この先は行き止まりですよ」とさっき自らの実地体験で得た知見を日本語で伝えてみる。「あっ、そうなんですね」…伝わった。

失礼ながら小柄で幼く見えたので学生さんですかと聞いてみると社会人だという。童顔なのでまさかと思ったが私と同い年だった。まさかこんな年の瀬に一人でサマルカンドをうろつく日本人男性が自分以外にいるとは思っていなかった。状況が似ていると話もはずむもので、そのまま一緒に適当な店で夕食をとろうということになる。適当な店を見つけて入る。ここで言う適当な店というのはつまり高級ホテルのレストランではなく、道ばたのケンタッキーでもなく、この国特有の食事が安価で食べられるお店という意味を込めた表現のつもりだったが、入った店は適当にもほどがあるところだった。店内の照明がすべて赤い。食事をする地元民らしき客はそこそこいるので変な店ではないだろうが、しかし異国の言葉で書かれた読めないメニューを指さし注文して出てきたスープもその照明で赤く染まっている。もとの料理の色は私の錐体では捉えられない。色がわからないと味もなんだかよくわからない。温かいことは確かなのでちゃんと作っていることだろうとは思うものの、これでは食欲もそんなにわかない。食べ終わってぼんやりしゃべっててもなかなか会計にすすまない。声を掛けられる店員がどこにもいないのだ。料理を持ってきた店員も消え、気づけば他の客もおらず、ただその赤い食堂には私と青年とテレビから流れるウズベク語だけがあった。

結局テーブルに曖昧な金額を置き(たぶん足りてなかっただろう)、変な店だったしうしろから追いかけられたりするのではないかと思ってその青年と二人で笑いながら走って店を出た。別に悪いことをしているわけではないが、なんともへんな体験だった。

知り合った青年と一緒にタクシーにのり、彼のホテルで下ろして別れる。駅に近いホテルだったので私はそのまま列車にのって帰ることにした。連絡先も名前も知らないあの青年がいまも元気で過ごしているだろうか。いつかまたどこかの街で再会できたら次は青い食堂に行けたらいいなと思う。

行きと同じような無骨な列車にのってここ数日泊まっている宿に戻る。行きは帰省客で混雑していた車両も大晦日の夜に都市に向かう人は少ないようでガラガラだった。

ウズベキスタンの街が新しい年を迎える瞬間を宿のテレビで見る。この街の広場で花火が上がっているようだが、濃霧で花火の姿はほとんど見えない。雷雲を撮影したかのようなぼんやりとしたフラッシュばかりの映像を眺めていた。

元日もまた近所の食堂で新年最初のプロフを食べる。お店ごとに少しづつ異なるので楽しいし、やはり米のメニューは日本人になじみがあるからか全く飽きない。黄色い具材はカリンだろうか。この料理はこうして出されると見た目がずいぶん悪いなと思うのだが(この写真は食べさしではない)、それは我々街の中華料理店で出されるチャーハンがきれいなお椀型に成形されているのに見慣れているからな気もする。この見た目の悪さはナウルで食べた食事よりも微妙だ。おいしいのにもったいないなと思わないでもない。

五日ほど過ごしたタシケントを離れ、今回の旅の最期の目的地タジキスタン共和国の首都デュシャンベに向かう。同国最大の航空会社であるソモンエアによるSZ226便は機体のスピードを上げまもなく滑走路を離れた。

つづく