中央アジアにいってきた 5 (タジキスタンから東京へ)
タジキスタンの首都ドゥシャンベに到着する。多くの人はタジキスタンという国の名前も場所も知らないことだろうと思う。タジキスタンは旧ソビエト圏の中でもっとも貧しい国とされており、これといった産業も資源もない。国土の大半を占める山岳地帯を活用した安価な水力発電によって国中の電気をまかなっているため、アルミニウムの精錬業の拡大を進めているようだ。
街にはソビエト風のトロリーバスが走っている。これをみてCIS諸国や東欧の香りを感じ取れればそれなりに旅行通と言えるかもしれない。ソビエトのトロリーバスは石油資源の節約のために普及していったらしい。
この国の通貨単位は「ソモニ」というもので、だいたい1ソモニが10円くらいなのだが、この名称はこの国を興したイスマーイール・サーマーニーからとられている。その国父の像だ。街の中心部にある。像の周りは階段状になっているが、常に警備されていて近づこうとするとそれとなく注意される。
ソモニ像から歩いてすぐのところにはタジキスタンの国立図書館がある。ロシア語ができないと入館してもさほど面白くはないだろう。
ルーダキー公園として一帯は整備されている。ペルシア文学の父とされる彼を称えたアーチと噴水があるが、噴水は止まっていて水も張られていない。冬の間は凍結と破損を防ぐために抜いてあるのだろうか。オフシーズンとはいえ観光客も地元住民も少なく、あたりは静まりかえり寒々しい。
2011年に建てられた当時は世界一大きかったという国旗掲揚塔。165mもあり、遠くからでもよく見える。サイズがサイズなので旗の重量は700kgにもなるそうで、私が訪れたときは旗は重力に従って塔の周りでうなだれていた。
首都ドゥシャンベの観光名所といえばこれくらいだ。それほど見る物は多くない。街をぶらぶらと散策することにする。
旧ソビエトの雰囲気が残る地方都市という感じだ。天気のせいか、時期のせいか、屋外はどこも活気があるとはいいづらい。お店やちょっとしたレストランにはそれなりに人がいるものの、当然混雑しているわけでもない。この街の人は年末年始は家で過ごすのだろうか。
予約したホテルの部屋に戻ってくる。一人で使うにはかなり広い。冷蔵庫はミニバーを兼ねていて、余ったソモニ貨幣を使い切るためにミネラルウォーターのボトルを2本あけた。
その後もぶらぶらと街をあるいたり博物館に行ってみたりと普通の観光をする。この街は一泊だけでも十分漫喫できる規模なので、トランジットなんかでの来訪がちょうどよいかなと思った。
カラフルな空港に到着する。光を通した色ガラスが白を基調とした内装に映える。きれいだ。ここの出国審査においてトラブルが起こる。どうやら入国時に渡されたらしい何らかの紙があるらしく、それを出国の時に提出する必要がある、と説明される。イスラエルで同じ仕組みを経験しているので驚くことはないものの、しかしこちらはそんな紙は受け取っていない。受け取っていないのは確かなのだが、入国時に審査待ちの列からわたしの名前を呼びこちらに来いと呼ばれ一人だけ別対応を受けたことを思い出す。もしかしてあのとき受け取りそびれたのかもしれない。とはいえいま手元にないものを出せと言われても困る。出国時のトラブルは入国時のそれとくらべればたいしたことはないと思われるかもしれない。入国を拒否されると帰国するほかないが、出国のトラブルは最悪罰金で済む、というような。しかし残念ながらそうでもなく、不法入国者として扱われ、何日も足止めされたり宿泊費がかさむというケースもある。出国審査官は「この紙がないとDeportとなる」と言っている。deportという単語を知らなかったのでその場でスマホを取り出し調べてみると「強制送還」という意味だった。「タジク語かロシア語はできるか?」ときかれ、英語しかできないと答えるとたどたどしい英語で処分の内容を説明し始めた。内容は「タジキスタンに再度入国することはできない」ということだった。失礼ながらタジキスタンに人生で二度以上くるような奇特な日本人はほとんどいないだろう。わたしもたぶんもうこない。こんなめんどうな目にあうならなおさらである。と、思ってもそんなことはもちろん言わず、タジキスタンに一生再入国できないことはとても残念です、と伝えると目の前のブースに座る若い審査官は隣に座る同世代くらいの女性審査官と顔をあわせてニコニコと笑っている。タジク語だったので会話内容はわからないが、きっと「もうよしなさいよ」というくらいの意味だろう。
すべて冗談だったらしい。キレそう。その男性審査官は笑って出国のスタンプを私のパスポートと航空券に押し、またおいでと手を振る。まぁ一日にそうたくさんの外国人出国者もおらずめちゃくちゃ暇なのだろうが、この手のジョークは笑えないし下手したら外交問題にもなる。勘弁して欲しい。
ドゥシャンベ空港からロシアの空港を二つ経由して成田に向かう。遠回りだが、日本に向かうための直線らしいルートはほとんどない。ほとんどないというのは存在はするが高価であるという意味だ。飛行機の窓から見える山々はみっしりと眼下の地形を埋め尽くしている。人なんか住んでいないエリアなのだろう。ツングースカイベントで死者が出なかったこともこうして見ると妙に納得できる。
機内食のクオリティは非常に低い。まずいとは思わないが、かなりテンションのさがる見た目をしている。 同僚にこの写真を送ったら「令和3年にこんなの食べてる旅行者は内藤さんだけですよ」と言われた。
ウラジオストク空港の仮眠室で夜を明かし、成田へ向かうフライトの搭乗時刻が近づいていく。これがこの旅のおわりだ。こまごましたトラブルはあったが、おおむね問題なく楽しく過ごすことができた。やはり人気の観光地を多々擁するウズベキスタンが一番よかった。また行きたい。
慣れ親しんだ成田空港に到着する。行ったことのない地域への旅行はそれなりに体力が必要で、日本に降り立った瞬間に旅の間じゅう気を張っていた緊張感は音を立てて溶けていく。この緊張と緩和によって私の報酬系は活性化している。それを味わうためにまた旅に出る。