ウユニ塩湖にいってきた

いやー、いまさらウユニ塩湖いくの、めっちゃかっこわるいじゃないですか。ウユニ塩湖って元気な大学生がこぞって行くところという偏見があるし、いい年してこのタイミングでウユニ塩湖なんて行くかねぇ。しょうもないトリック写真撮って、並んで片腕挙げた写真撮って、「絶景!」「仲間!」「思い出!」みたいなの、きびしい。とてもきびしい。この感情、伝わるだろうか。Google画像検索で「ウユニ塩湖 仲間」などと検索して出てきた画像を味わってほしい。きっつ……、そう思って何年も勝手に避けてきたのがウユニ塩湖なのだ。

いま私はちょうどボリビアに滞在しており、かつ世界中からの観光客が減っている御時世もあり、もうそろそろウユニと真剣に向き合う必要もあろうと思いウユニ塩湖ツアーに申し込んでみることにした。ネットで直接申し込めるAndes Salt Expeditions社のフルデイツアーと、そのツアーを挟むように首都ラパス市とウユニ村を結ぶ夜行バスの往復を予約した。現在ウユニ村の至近にある空港は路線が休止中のようであるらしく、事実上ウユニへのアクセスは高速バスのみになっている。

私が申し込んだトドツーリスモ社の夜行バスは他社のバスに比べるとかなり豪華で、160度まで倒れるゆったりとしたリクライニングシートやトイレのような設備はもちろん、乗車してしばらくすると温かい食事まで提供してもらえる(エコノミークラスみたいな感じだが…)。ほかの高速バスに比べたら数倍の値段はするが、バス会社のオフィスに荷物を置かせてもらったりもできるので、うまく使えばホテル代や食事代も浮かぶのだからなかなか悪くない。このゴージャスな夜行バスに乗り込みウユニ村にむかうことにした。バスの中は想像通りに快適で、電源タップだけ使えなかったのが不満だが、食事はおいしかったし食後の温かいコカ茶も嬉しかった。消灯するとバスの中も静かになる。バスのタイヤがアスファルトの道を同じペースで走り続ける音だけが聞こえる。マナーのいい乗客たちばかりでよかった。

翌朝、氷点下まで冷える朝のアンデスの空気を切り裂くように飛ばすバスの車窓には、からからに乾いた不毛な大地が絶え間なく後ろへ流れつづけていた。4月というのは雨期が終わり乾期にさしかかる狭間のような季節だと事前に調べてはいたが、見た目には水分のかけらも見いだせない。3年前に行ったアタカマ砂漠も同然の乾き方だ。アタカマもウユニも距離的には非常に近いので同じようなものであることはとくに驚くものではないのだけど。しかし見ているだけで干からびそうな光景だ。

数年前は日本人であふれかえっていたHODAKA社

朝7時すぎ、バスはウユニ村中心地の路上、バス会社のオフィス前に停車する。リュックを背負ってバスから降りるとすぐにツアー会社の客引きにあった。話しかけてきたアンデスらしいふくよかなおばさんの頭にはHODAKAと書かれた赤いキャップがある。ホダカ、潰れたと聞いたがいまも客引きをしているのか。日本人観光客がメインの顧客だっただろうから、おそらく今はほかのツアー会社への送客だけをやっているのではないかと思う。

出発の時間になり、Andes Salt Expeditions社の車が三台やってくる。ウユニ塩湖のツアーではトヨタのランドクルーザー以外まったく走っておらず、私も赤のランドクルーザーに乗り込んだ。乗客はロンドンからきたという中華系のおじさんが一人、フランス人とオランダ人のカップルが一組、巨大な仲の良いギリシャ人男性が二人、それに私だった。日本人であふれていると聞いていたが、そんなことはまったくない。

ツアーの説明を受ける。観光名所の列車の墓場にまず向かい、そのあとSalt flat(塩の大地)へ、食事を取ったらSky’s reflection(鏡張りの場所)に行きボリビアのワインで乾杯、最後に夕暮れと星空を見て帰投というのが今日のツアーのおおまかな流れだった。雨期のさなかだと雨が降ってしまったり空が曇って夕焼けや星空が見えなくなることもあるそうだが、ちょうど今の時期なら固く締まった白い大地も雨水の溜まった鏡張りの世界も楽しめるという。いいタイミングだ。天気もよく雲一つ無い。

長靴を試着して自分のサイズを見つけてスタッフに渡す。各車ごとに乗客のブーツが詰め込まれた麻袋が生まれ、それらが車の屋根に乗せられていく。ブーツの他にも昼食にするための食料や、恐竜のフィギュア、プリングルスの缶などが詰め込まれたボックスが車のストレージに乗せられた。不穏である。

また車にのり、3台のランクルは走り出した。

最初に列車の墓場に到着する。荒野にごろごろと鉄道車両が放置されている。静態安置というわけでもなく、列車をニコイチにしたりした後の残骸を捨て置くための場所のようだった。列車はどれも一分の隙もなく錆びていて、こんな場所までスプレーをわざわざ持ち込む人間がいるのかと驚くが醜悪な落書きもたくさんされている。観光客はみな思い思いにポーズをとり、列車に登って写真をとっている。

30分ほどの後、同じランクルに乗って墓場を後にする。次に塩工場の見学だ。大きな塩の塊を運び込み、工場(といっても広さは小学校の教室ほどしかない)で破砕、袋詰めにして出荷しているらしい。原材料は無料で無限に手に入るが、輸送費を考えると世界中の海岸沿いで塩なんて簡単に作れるのだから実のところボリビアの塩が、ウユニの塩が世界を席巻しているというわけではない。ここでも現在はお土産として塩を買っていく観光客しかいなくなっている。

Boom Boom

私はサングラスをかける習慣がなく、雪原が明るく光る南極でも赤道直下のナウルでもノーガード戦法でやってきた。やってきたのだが、ウユニ塩湖は桁違いに太陽光が強烈で目が日に焼けて夜になると痛い思いをするとツアーのスタッフが説明している。その声にビビって塩工場の隣にある土産物屋でコピー品の粗悪なサングラスを買った。Ray-Banに似せた雰囲気でRei-Floと書いてある。すごい嫌だが背に腹は代えられない。土産物屋を出てサングラスの封をあけ、掛けてみるとそのあまりの快適さに感動した。ただ黒いレンズのついたメガネだろと思っていたがサングラスってこんなにいいものだったのか。まだ塩の白い大地にたどり着いていないが、ここでショボイサングラスを買ったのは正解だった。

土産物屋を後にし一直線の高速道路を走り抜けると、あっという間に真っ白い世界に突入する。サングラスなしで眺めるには猛烈にまぶしい。車を止めてもらい、塩の大地を歩いてみる。少し水分を含んだところはざくざくとした感触があり、そうでないところは無数の細かい凹凸が固く鋭く靴底を刺してくる。これは初めての体験だ。おもしろい。塩のかけらを拾って舐めてみたらしょっぱかった。自分の足下に塩の大地が広がっている。

塩でできた施設で食事を取る。もともとはホテルだったらしい。この建物の脇には国旗がたくさんたなびいている場所があり、非常に写真映えするフォトスポットとして知られている。コロナ禍が始まってから2年になり、ずっと吹きさらしている風雨と強い太陽光で劣化した国旗が外されているのか、遠方の国のフラッグは消えてボリビアと近くの国の国旗ばかりになっていた。日本人が押し寄せていたころは日本の国旗も複数あったようだが、現在では日米欧のものはずいぶん少なく見える。

塩屋敷のまわりは固く締まった塩の大地が広がっているため、トリック写真撮影の名所になっている。みな寝転んでいろいろやっていた。

塩の館をあとにし、ついにツアーのハイライトとなる鏡張りのエリアに入る。塩の大地をなんの目印もなく(ドライバー氏曰く目印は結構あるらしい)突き進んでいくと、途中からバシャバシャと水の上を走る音が響く。オッと思って窓の外を見てみると数センチの塩水が遠く水平線まで広がっていた。そのまま塩水の上を進み、ちょうど良く四方が鏡張りになるような場所で車を止める。今朝方選んだブーツで透き通る塩水の上を歩いてみる。思いのほか冷たい。そして塩水の底はゴツゴツとしている。すばらしい光景だった。

ボリビアのワインを開け、ちゃちなワイングラスにそそいで振る舞ってくれる。初めてボリビアのワインというものを飲んだがかなり甘かった。昼はシャツ一枚でもいいくらい暑く、夜は気温が氷点下までさがる厳しい気候なのでアイスワインのような製法なのかもしれない。ワインを飲み、つまみにと置かれたポテトチップスを食べていると太陽は刻一刻とその高度を下げ、気温はどんどん下がっていく。

空がオレンジ色にそまり、追いかけるように瑠璃色に変わり気づけば周囲は星空の広がる闇の世界になっていた。凍えるほど寒い。あいかわらず目印の無い暗い夜道を進んでいき、ウユニの町に戻ってくる。翌日以降もつづくツアーに参加している客たちと別れ、私は今朝乗ってきたゴージャスなバスにまた乗り込んだ。

疲れてぐったりしている。柔らかなシートに体をあずけてじっとしていると、太陽の光に焼かれほてった体の熱を感じる。もうなにもしたくないなと思ったが、それでも疲れた体に温かい食事はおいしかった。

結局

ずっと避けていたウユニ塩湖、来て良かった。

世界最高の絶景かというと私はそれほどではなかったのだが(二週間前に見たイグアスの滝のほうがより強く感動したかも)、しかしこの周辺でしか見られない景色なのは間違いないし、いくら気軽で安価なツアーがやまほど商品化されているとはいえ単純に日本から遠くさらに高所であるため体力の低下した高齢者にはつらいかもしれないし、元気なうちに行っておく方がいいような気がした。

いい旅だった。ウユニ塩湖、人生で一回くらいは見ておいていいかなと思う。

ところで私もしょうもないトリック写真を撮り敗北してしまった。最悪!