エリトリアにいってきた その2

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このなかなか素敵な国、エリトリアのなにがエリトリアたらしめているのか。それはこの国の閉鎖的な体制にある。その異様さはただの観光客でもつぶさに感じ取ることができる。

メディアと政治体制

まずこの国には独立したメディアというものが事実上禁止されており、基本的に政府系の新聞やテレビ放送しかない。野党も市民団体も存在せず、さらには7人を超える集会が禁止されているという、かなり強力な統制のもと国家が運営されている。そのうえ国民には無期限の国家奉仕が課されており、多くのエリトリア人は軍務や公務として数年から数十年の拘束を経験しているのだとヒューマンライツウォッチは報告している。野党もないし選挙もない、独立メディアもないという状況から出た表現が「アフリカの北朝鮮」であり、紛れもなく世界でも類を見ないほど抑圧的な国だ。

ちなみに政府系メディアがなかなか取り扱わない国政ニュース以外のローカルな情報については、いまでも街中の掲示板が広く市民に活用されている。低いインターネット普及率と特殊なメディア環境におけるアスマラ独特の都市風景だ。

「24時間高速接続」

とはいえ、抑圧的な政治体制や報道統制をもって「アフリカの北朝鮮」という比喩を使うのは現実のエリトリア社会を表現するフレーズとしてはあまりにも雑だ。中東諸国をはじめ、周辺の国には数万人単位の在外エリトリア人コミュニティがあり、インターネットもかなり低速ではあるが一応普通に誰でも使える。外国人旅行者の入国も首都に限れば問題なく許されている。外界との物理的遮断は北朝鮮のそれとは比べものにならないほど緩やかだ。国内政治と報道統制が世界最悪水準の国ではあれど、北朝鮮のような核で恫喝しサイバー窃取などを繰り返して国際社会と対立する国と同列に語るのは妥当ではない。エリトリアを美化する必要はないし国際的な批判は当然に存在すれど、サウジアラビアにおける言論の自由や人権問題を指して「中東の北朝鮮」などと呼ぶことが乱暴であるように、見出しとしては強烈で耳目を集めるであろうがエリトリアを北朝鮮と同列に扱う推論はあまりに飛躍があると感じた。

食事

エリトリアは意外にも、と言っては失礼だがなかなかの美食の国である。とくに今いる首都アスマラは旧宗主国イタリアの文化とエチオピアの食文化が深く入り交じった、エリトリア独特な食文化が花開いている。レストランもそこらへんにたくさんあるのでホテルの食堂だけで済ませずいろいろ巡ってみよう。

レストラン「Ghibabo」

アスマラ風ピザ、という名前のピザ。イタリア文化の遺産であるピザとこの地の唐辛子文化の到達点だ。とてもおいしい。

Lielana Burger House

注文してから作ってくれる焼きたてのハンバーガー。かなりおいしい。3ドルほどと安いのもうれしい。

Spaghetti And Pizza House

街の目抜き通りにあるイタリアンレストランのエビとトマトのパスタ。ちょっと茹ですぎかもしれない。評判の良い店だったが、これはそんなにおいしくなかった。

手書きの素朴なイラストいりメニュー板

街にはジェラート屋

地元のビール会社Asmara Breweryで作られるビール「ASMARA」。このビール会社もイタリア統治下時代にイタリア人の技師によって設立された。味はそれほど特徴はなく、普通のおいしいビールだ。エリトリア国外にも少量ながら輸出されているそうで、エリトリア人コミュニティに顔を出せばこのビールを見かけることがあるかもしれない。ただ日本ではまず見かけることはないと思う。エリトリアに来たら是非飲んでみよう。

落ち穂拾い

この国において国際空港のあるアスマラ以外へ行くには政府の許可が必要で、実際にほかの街を巡るとなると現地の旅行会社に手配を頼ることになる。また、アスマラ市内であっても政府観光局からの許可がないと立ち入れない観光スポットが点在している。

政府観光局のオフィス

オフィスは市内中心部にあるのでここまで来ることは簡単なのだが、観光の許可を得るのはそんなに簡単ではない。即日受け取れる許可と翌日また来てねと言われる許可があるのだ。そして場所によってはエリトリア人ガイドと一緒に来てねと断られてしまう。適当にこの地にやってきてもそれなりに楽しめるが、どうしても見たいスポットがあれば事前にホテルを通して旅行会社と打ち合わせしておくと安心だ。

アンドレアスグルスキーみたいな陳列の商店

街のジム。壁の絵があじわい深い

グッバイ エリトリア

エリトリア旅行のなかで個人的に行きたかったダフラク諸島について残念ながら交通手段すら判然としなかった。プライベートツアーを手配して巡るほかなさそうだ。人生は厳しい。まぁ、仕方ない。私の生きているうちに島が沈没するようなことはないだろう。別にまた来ればいい。そう思ってエリトリアを去ることにする。

アスマラ空港の入場は結構厳重で、空港に入る前に荷物チェックをする場所が別途設けられている。「DO NOT TAKE WITH YOU ERITREAN CURRENCY NAKFA」と書かれた掲示が示すように、エリトリアの通貨ナクファを国外へ持ち出すには制限があり、警備員らしきおじさんからも「ナクファ持ってないか?」と聞かれた。持ってないよと言いつつ財布を広げて見せたところ、少額のナクファ札が入っていたが、別に一瞥されただけでなにも言われず、金額を確かめられたり没収されたりすることはなかった。それほど厳密に管理されているわけではないようだ。そもそも空港内にちょっとした売店もあるわけだし、少額ならお土産にしてもいいのだろう。

チェックインカウンターに並んで待っているが、列はまったく進まない。システムがダウンした、と職員は言っている。結局全員カウンターの前で一時間ほど待たされてからのチェックインとなった。カウンターの周りはサウジアラビア行きのフライトに一緒に乗り込む若いエリトリア人出稼ぎ労働者たちで賑やかだった。湾岸への出稼ぎを手配する仲介業者であろうおばちゃんから順に書類を受け取っている。契約書や査証関連のドキュメントだろう。初めて飛行機に乗る人も多いのか、みなはしゃいでいる。

こういう光景をみるとやはり「アフリカの北朝鮮」というラベルは雑だなと感じてしまう。少なくとも若者がまとまって正規便で紅海の向こうの豊かな国々へ渡り、仲介業者が空港で渡航書類を配っている社会というのは国際社会とのつながりを感じさせるし、完全な閉鎖社会とは少し違って見える。出稼ぎには当然不安もリスクもあると思うけど、それでも彼らの見せるその明るい表情には、これから始まる新しい生活への希望と高揚感があふれていた。