エリトリアにいってきた その1
エリトリア。アフリカ大陸の北東部、サウジアラビアとイエメンの対岸にあるこの国を知っている人はそれほどいないだろうと思う。知っているとしても、国境なき記者団の「報道の自由度ランキング」で毎年世界最下位を争っていたり、無期限・無制限の兵役制度を敷いているという「アフリカの北朝鮮」の名前をほしいままにしているその悪名高さでしか聞くことのない国だろう。
エリトリアは北朝鮮とは違い観光目的の入国自体は可能で、日本人なら5000円支払えばビザを取得することもできる。観光で行く人はほとんどおらず、そもそも観光開発自体がまったく活発でない。旅行者の移動も当局からの制限があるためなかなか窮屈だし、周辺国であるエチオピアやジブチとの国境も長年閉じたままになっている。そんなエリトリアに行ってみることにした。
サウジアラビアの航空会社 Flynas
エリトリア国内に商業便が就航しているのは首都アスマラのみで、そこからトルコ、エジプト、サウジアラビア、UAEなどへのフライトが存在している。なかでもエジプトとドバイに限っては毎日フライトがあるのでアクセスが極端に不便ということもない。わたしは到着時間が便利そうなサウジアラビア第二の都市ジェッダから向かうことにした。余談だがサウジアラビアでは乗り継ぎ時間が4時間以内で、かつ同一の航空会社によるひとつなぎの航空券であればビザなしでのトランジットが可能だ。

エリトリアの空の玄関口、首都アスマラのアスマラ国際空港に到着する。空港自体はこぢんまりとしているが、そんなにボロボロだったりはしない。よくある感じだ。この手の権威主義国家では空港内の写真をとるのは控えておこう。拘束されるかもしれない。
Himbol(ティグリニャ語で「両替」) エリトリアの主要民族が印刷されている

入国には時間がかかるがトラブルはなく、そんなに質問もされない。外国人、特に日本人が来ることがない国ゆえに、時間がかかるのは単にイレギュラーなイベントなのだろう。まわりには日本人どころかアフリカでよく見かける中国人ビジネス客らしき人さえ一人もいない。白人も見当たらない。エリトリア人の帰省以外でだれがここに来ているのだろう。入国後は目立つところに両替所がある。この国では資格を持った正規の両替所以外での両替は違法とされている。闇レートも、まぁこういう国では当然に存在はするものの、規制は強いので避けた方が無難だ。私はあなたに捕まってほしくない。なんたってアフリカの北朝鮮だ。変なことはしないに越したことはない。外国人が泊まれるホテルと大きな銀行でも両替可能であるはずだが、どこも大してレートは変わらないのでアスマラ空港である程度変えておくと安心だ。公式レートは1USD=15ナクファに固定されているほか、日本円も受け付けている一方、アフリカ諸国の通貨は隣接している国のものであっても対応していない。

空港前にはバス停があり、わずかなお金で乗れるという噂は聞いていたものの、待っていてもそれらしいバスは一向にやってこない。時刻表も無いようなので近くの女学生に尋ねてみたら「バスはこないよ」とのことだった。それが「バスは運行頻度が低すぎて待ってても乗れないよ」という意味なのか、「今日はバスが運行しない日だよ」の意味なのか、「バスの乗り場はここじゃないよ」の意味なのかはわからなかった。仕方ないので地元っぽいおばちゃんに街まで行くタクシーの相場はいくらですか、と聞いてみると300ナクファくらいだと教えてもらう。私がタクシーつかまえてあげるよと適当なドライバーを捕まえ、300ナクファでクリスタルホテルまでつれてってあげてと伝えてくれた。
タクシーはエリトリアの首都アスマラ中心地へ向かって走っていく。町並みはこれまで見てきたアフリカのそれとはあまり似ていない。この町は世界的に数少ないイタリアの植民地時代の痕跡を色濃く残す街で、かつイタリアがかつて作った計画都市や建築物をいまのエリトリア社会が普通に使い続けているから、というのが理由のようだ。この町並みはローマにもミラノにもないし、ほかのフランスやイギリスの植民地であったアフリカ諸都市とも異なる独特の面影を今に残している。
自転車
アスマラの街を歩いていてまず目につくのがその異常なほどの自転車の多さだ。アフリカでは自転車を見かける機会は少なく、所得水準の低い国では長持ちする古いトヨタ車が、もう少し豊かな国では安価な韓国車なんかがよく見かけられる。アスマラでは自転車だ。老若男女問わずみんな自転車に乗って移動している。


街路樹の木陰にはあちこちに自転車がたくさん停められている。高円寺か新小岩か蒲田か、というくらいの数の自転車が街にあふれている。オランダなどの環境先進国でしか見かけない風景がアフリカ大陸にあるというのは不思議な感じがするが、エコ意識で自転車に乗っているというよりは、エリトリアという国において特異的に自転車が生活に浸透しているのである。自転車競技での活躍もめざましく、アフリカ選手権や欧州の競技会において多数のメダリストも輩出している。自転車はエリトリア人の国民的スポーツであり、憧れの連鎖を生んでいる。

イタリア統治時代に導入され、年間を通じて暑くも寒くもならない高原気候、計画都市で道が広く走りやすいという条件に恵まれたアスマラでは古くから自転車が親しまれており、通学時間帯になると学生たちが一斉に街を自転車で埋め尽くす光景に出会う。この自転車の集団のなかをこの国で珍しいアジア人がただ歩くだけで面白がられ声をかけられる。外国人が少ない国ならではの光景だ。
シネマ
アスマラのイタリア植民地時代の建築で最も知られているのが街中にいくつもあるシネマで、その大半は外観はほぼそのままに今も現役で使われている。
CINEMA IMPERO
シネマ・インペロは1937年に建てられたイタリア統治時代の映画館で、現在は(たぶん街に無数にあるコピーDVD屋と同じ海賊版の)映画を上映したり、サッカーのライブ中継を流して街のサッカーファンを楽しませているらしい。
CINEMA ODEON CINEMA ROME


「ROMA」の看板を掲げるシネマ・ローマもこの町の古い劇場のひとつ。ロビーに足を踏み入れる。かつて使われていた映写機がそのまま飾られていた。古いイタリアの映画館だなんて、ニュー・シネマ・パラダイスの世界そのものだ。

シネマ・ローマはカフェとしても営業している。建物の格調高いその風体から入店はすこし緊張するが、入ってしまえば普通のカフェだ。適当な席に座って注文しよう。イタリア植民地時代の名残か、コーヒー文化はエリトリアでも名高い。わたしはよくわからないのでおすすめらしきマキアートを一杯注文した。
マキアートを飲み終え、館内を見せてはもらえぬかと従業員に聞いてみたところ、好きに入っていいよと快く受け入れてもらえた。


薄暗い館内には真紅の座席がずらりと並んでいる。息をのむような美しさだ。

暗がりに浮かぶ古い壁付け照明の明かりも哀愁を帯びている。
この美しい、記念碑のようなシネマも結局のところしょっちゅう地元民が集まってヨーロッパのサッカーなんかを見て騒いでいるらしい。ニューシネマパラダイスの舞台のような美しさだと感動する文化財とは現地では扱われていないようだ。それでもこのシネマは地域住民の交流の機会を増やし、文化の振興に与するという1930年代の映画館の役割をいまもまだ全うしているともいえるだろう。
町歩き
シネマ以外にも古い建物はたっぷりと残っている。このアスマラの街は宗主国イタリアの軍事拠点であると同時に、小ローマとして都市計画が進められ、当時のイタリアでの流行である「イタリア合理主義建築」という装飾のほとんどない建物によって町並みが作り出された(わたしは建築が好きなので興奮している)。このような街自体は希少ではあるものの、ほかにもリビアやソマリアなどイタリアの支配下にあった地域には存在していた。しかしそれらの多くは戦争や再開発で永久に失われてしまっている。古い建物を使い続けてきたエリトリアの人々の営みもあり、アスマラの風景はアスマラにだけあるものとなっていて、そしてそれが、この町が「アフリカのモダニズム都市」としてユネスコの世界遺産に登録された理由となっている。
Fiat Tagliero
その象徴が、このフィアット・タリエロである。飛行機を模した特徴的なデザインを持つガソリンスタンドで、翼のように張り出した庇は今も柱なしで自立している。「世界一豪華なガソリンスタンド」とも表されるアスマラの建築を語るうえで欠かせないマスターピースだが、現在は老朽化によって立ち入りできなくなっている。残念だ
1922年に建てられたアスマラ大聖堂 アスマラ・フィッシュ・マーケット 大通り



独立戦争の記憶を描いた図画も街や店舗のいたるところで見かける(さっきのシネマ・ローマにも掲示されていた)。北朝鮮のような攻撃的で個人崇拝的な愛国プロパガンダとは異なり、この国の独立を勝ち取るために戦った無名の戦士たちを記憶し国民統合の象徴として国章のように扱われているようだ。
素朴な手書き看板の国立博物館
博物館は無料で入場できる。しかし展示は撮影が禁止されているうえ、展示内容は全体的に古い。でも無料なので全然OK。
聖マリア・コプト教会

教会ではちょうど礼拝の時刻だったようで、みな起立して放送を聞いている。教会正面には大きな石でできた伝統的な鐘がつるされている。たたいてみたかったが、礼拝中はだめらしい。まぁそれはそうだ。別の機会に再訪しよう。

現役で走っているとおぼしきヴィンテージの車が道端に停められている。街のあちこちでこうした旧車を見かける。自動車の輸入が容易でないこともあり、古い車を修理しながら長く使う文化が根付いているのだという。古い町並みにたたずむ旧車をみると時が止まっているように感じられる。原因は違えどその光景はキューバのようだ。

ロシア文学の父、プーシキンの像がある。プーシキンのルーツにアフリカ人がいるというのは史実として存在しており、それがエリトリア人なのかどうかは実際のところ「諸説あり」という状態なのだが、ロシア政府はその事実を利用してアフリカ諸国に「貴国は我が国の偉大な文学者であるプーシキンのルーツである」と言って回っている。この像もその一つだ。そういう理由なので隣国エチオピアの首都アディスアベバにもプーシキン像が設置されている。


道で写真を撮っていたら近づいてきた少年。エリトリア人としてアスマラに生まれたシティボーイだ。写真を撮ってくれとアピールされたので撮ってあげたらお金をくれと言われたので無視して立ち去った。
つづく