チリのサンティアゴにいってきた

メキシコのカンクンにいってきたからの続き

カンクンを午前中に出発した飛行機が8時間かけてそのフライトを終えるころ、到着地チリの首都サンティアゴはすっかり夜も遅くなっていた。この街の少年少女はもう寝る時間だろう。日はとうに沈みきって空には星が光っているころに見知らぬ街にたどり着いてしまったが、ここから今日泊まるホテルまでどうにか向かわなければならない。そこそこ旅慣れているほうだとは思うがこういう状況にあっては少し緊張する。市内に向かうためのバスに乗るため、空港のATMを探して幾ばくかの現地通貨を引き出した。空港の前からは市内まで向かうバスがひっきりなしに出ており、どこで降りようが300円ほどの定額制で乗れる。

空港バスの停留所からは1kmほどあるく。最初からUberでもつかっておけばよかったなと思わなくもないが、さして大きな荷物があるわけでもないし、みたところ治安の悪い雰囲気もない。ただ、ガイドブックには夜間の一人歩きは絶対に避けようなどと書かれているし、選べるなら到着は昼間のほうが当然よい。カンクンとサンティアゴのような需要のよくわからないルートだと到着の時間帯を自由に選べないということもあるが、そのときはお金を使って空港直結のホテルに泊まるべきだった。そんなことあたりまえなのだが、なぜだか実行できたためしがない。

到着したホテルの受付にはパンクロッカーのような若者が座っていた。性別はよくわからないが、もちろんどちらでもよい。なんとなく南米では英語で話せる人は多くないイメージだったが、そんなわけでもなかった。大学生のアルバイトかもしれない。その人(性別を限定しない日本語の三人称はほかになにがあるだろう)は私の泊まる部屋を案内し、鍵とサンティアゴ市内のマップを手渡すとにこやかに階下のカウンターへもどっていった。

もう日付をまたぎそうな時間の到着になってしまったが、無事にホテルのベッドに横になれた。狭い部屋だがアメニティも一通りそろっている。歯磨きを済ませ服を脱ぎちらかし、きちんとベッドメイクが施された今夜の快適な寝床で眠りについた。

翌朝、シャワーを浴びて荷物を整理し朝日に照らされたサンティアゴ市内を散歩する。12月の終わりだがもちろん半袖のTシャツで十分歩き回れる。自分がいま南半球に来ていることがよくわかる過ごしやすさだ。

昨晩歩いた道と同じはずだが、太陽が出ているだけで雰囲気はまったく異なる。道はとても清潔で、ゴミひとつおちてないし街全体に活気もある。すでにこの街が好きになってしまった。道をまるごとつかってフリーマーケットを開催していた。

ホテルから歩いて15分ほどの公園には国立博物館だと思われる建物が目に入る。残念ながら私が訪ねたときはその正門は閉まっていた。休館日だったのか、あるいは旗が掲げられているところからするとまだ朝も早いので単純に営業時間外だったのかもしれない。あとでまた来よう。

サンティアゴの地下鉄はSuicaのようにICカードで改札機をタッチすることでプラットホームに入る流れになっている。この街の鉄道でしか使えないが、地下鉄に乗るために毎回コインをじゃらじゃら受け取るのは旅行中だと本当に最悪の気持ちになるので、数回しか使わなかったとしても作っておいたほうがよい。こういう交通系ICカードも自宅にたまっていくので、全世界の鉄道会社には返却と返金の仕組みを旅行者にもわかりやすく掲示してもらえるとありがたい。

サンティアゴの地下鉄ホームは明るく清潔に保たれている。ストリートアートのオバケみたいな巨大な絵がホーム全体の壁に飾られているのは他の国ではあまり見ない景色だ。それに対して地下鉄の車内はどちらかといえば無骨で、広告も案内図もない。

アルマス広場に到着した。中央郵便局や歴史博物館として利用されている宮殿、市庁舎などによって囲まれているこの広場にはサンティアゴの市民たちがそれぞれの時間を過ごしている。素晴らしい天気だ。平和そのものの光景である。

しかしパトカーはかなり頑丈に守られている。緑色の警察車両は他の国でなかなか見かけない。なかなかボロいしホコリが積もっているが、これはまだ実用に供されているのだろうか。

サンティアゴの街の中心地には「サンタルシアの丘」という高台がある。街の中心地にはさして混雑もしていないのでするするとのぼれる。

小さな売店があり飲み物を売っていた。この丘はいまでこそ緑豊かな公園として整備されているが、もともとは先住民との戦いのために建造した要塞の遺構だったらしい。頂上からはサンティアゴの市街地を一望できる。

サンティアゴのビルはどれも高さがある程度統一されているようにみえる。この街のルールだろうか。遠くにはアンデス山脈がかすんで見える。

パリのテュイルリー公園みたいな西洋的公園を通り抜ける。年末でみんな暇してそうだが人はそれほどいない。日本人の思う12月の天気とは異なる陽気に心が弾む。

市内中心部を流れるマポチョ川にぶつかる。川縁からのぞいてみると、流れる水は完全なる濁流になっている。もともと年中通して清流として流れることはないようで、アンデス山脈からの雪解け水が春先に一挙に流れ出したり、そうでなくとも普段から一般家庭や工場からの排水も流れ込んでいるという。大都市を流れる川なんてそりゃきれいなものではないだろうが、しかしこの濁り方はなかなか迫力がある。ココアみたいな色合いだ。

目に入った街のカフェに入る。暑いが乾燥していて不快感はないサンティアゴの街だ。ここで飲むべきはビール以外にない。しかしそのカフェにはアルコール飲料の取り扱いはないと言われる。がっかりしているとお店のオーナーらしき人が二件隣のお店の前に立つ別の店の店員に声をかける。スペイン語なのでわからなかったが、おそらく「こいつにビールをやってくれ!」というような内容だったのだろう。にこやかにその店員が私を店にいざなってくれた。旅行中はできるだけローカルの食事をとりたいので当然ビールもローカルのものを注文する。当然おいしい。ビールは適温で提供される限り、どうやったっておいしいのだ。冷えたジョッキに注がれたビールは道を踏み外すこともなく、誰かの期待を裏切ることもなく、安心と信頼のおいしさが胃に落ちていく。南米の暑い午後、数百円で得られる幸福としてはこれ以上のものはない。

朝に来た公園に戻ってきた。公園の前には屋台がいろいろ出ている。東南アジアの屋台と雰囲気は同じだがメニューはあまり似ていない。

公園はゲートで仕切られているし、その入り口の前には警官がいる。しかし警官は同僚とずっとおしゃべりしているし、荷物検査をされる様子もない。ただそこにいるだけの仕事のようだ。なんだか非生産的に思えるが、それでお金を稼ぎ幸せに暮らしているのなら私が文句を言う筋合いもない。

朝きたときには閉まっていた公園内の博物館はすでにオープンしていた。展示のクオリティはかなり高い。館内は明るくて混雑もしていないため大変快適に見て回ることができる。

南米最南端の地、フエゴ諸島に住んでいたセルクナム族という人々の精霊を模した祭礼の姿だという。夏の平均気温が10度前後という非常に寒い土地だが、彼らは油分を多く含んだボディペイントのようなものを使って防寒にしていたらしい。人類の適応能力とはすごいものだ。

公園は朝に比べてファミリーが増え、憩いの場としての雰囲気が朝方よりも色濃くでている。園内にもアイスキャンデーの小さな屋台が出ている。昨晩の空港からの移動で感じた不安と緊張はもうどこにもない。サンティアゴ市民たちの穏やかな日常の営みがうかがえる。

日本では遊泳禁止になりそうな緑色に濁った池で子供たちが泳いでいる。この暑いなかだもの、気持ちよさそうだ。ここで泳ぐことは想定されているのかわからないが、誰かに迷惑をかけるわけでもないのだから個人的には問題ないと思う。日本にもこのおおらかさがほしい。

明日は朝からまた空港に向かう。南北に長いチリの北部に飛ぶ。次の目的地はアタカマ砂漠だ。

つづく