南極にいってきた その2
その1はこちら
ホテルに荷物をあずけ、南米大陸最南端の街ウシュアイアを歩いてみることにする。この街は南極大陸やフォークランド諸島への観光拠点として知られており、街の人口に対して観光客相手の土産物店やホテルのような観光産業が異常なほどに盛んだ。
街の中心地はサンマルタン通りという1.5kmほどの商店街で、レストランやカフェ、南極探検を目的とした客向けのアウトドアショップが並んでいる。価格はやはり観光地プライスといえる。百万円とか二百万円とか掛けてペンギンを見に行く奇特な人間ばかりが集まる街なのでビジネスとしては正しい。
ちょうど一年前に行った釧路を思い出すモニュメントがある。観光客が常に数人写真をとっている。みなこれから南極にむかうのだろう。
港には欠航となり乗れなかったQE社のクルーズ船とさらに別の旅行会社のクルーズ船が泊まっていた。あのサイズのクルーズ船がいっぱいになるとはすこしおどろくが、欧米ではすでにコロナ禍をろくに気にしないような人々ばかりとなっているため、もはやすでに十分旺盛なクルーズ需要があるのだろう。
フォークランド紛争
ウシュアイアの沿岸から(看板によれば)785kmのところにフォークランド諸島(アルゼンチン側の呼称はマルビナス諸島)という島がある。アルゼンチンとイギリスがそれぞれ領土主権を主張している場所で、いまから40年くらい前に武力衝突が発生した。戦争の結果としてはイギリスの勝利で終わっているものの、現在でもアルゼンチンは領土主権を強く主張しており、舞台となったフォークランド諸島を臨むこの地に戦争記念のモニュメントが設置されている。戦争を経ても領土問題はのこりつづけ、条約以外での解決はないのだという事実は日本人として示唆深く感じる。詳しくは防衛研究所のフォークランド戦争史を参照されたい。非常にわかりやすく、今読んでも本当に興味深くおもしろい内容だと思う。
この場所以外にもアルゼンチンのいたるところで「マルビナス諸島は私たちのものだ」という意味合いの旗やシャツやポスターなんかを見かける。
世界最南端の鉄道と鉄道駅
ウシュアイアが世界最南端の街なのでこの街にあるあらゆるものが「世界最南端のXX」になりうる。この鉄道も世界最南端の鉄道路線で、当然世界最南端の駅もここにある。端っこが好きな人間としてこれには是非乗ってみたかった。
駅舎には「世界の果て鉄道」というそのままの名前がついている。はっきり言って運賃はめちゃくちゃ高い。北総鉄道もびっくりの片道8kmで7000円である。
車内はかなり狭い。もともとこのように観光客を乗せるために設計された鉄道ではなく、伐採した樹木を輸送するための路線だったものなので仕方ない。車内にはイヤホンジャックがあり、ガイド音声を聞くことができる。残念ながら日本語版はなかった。
車窓から見える景色には見覚えがある。タウシュベツ橋梁を訪ねたときに見た糠平湖の景色だ。湖底に残るたくさんの切り株があったあの光景を彷彿とさせる。低い気温によって分解されずに残っているのだろうか。
パンアメリカンハイウェイの終着地点
世界の果て鉄道の終着駅である「国立公園駅」が世界最南端の駅である。よくまぁこんなに遠くまできたもんだ。ここからさらにバスにのり、舗装されていない土の車道を最後まで進んでいくと道は行き止まりとなる。
アラスカからここまで、米州の南北を結ぶ道路の南端がこの場所だ。周囲は非常にのどかなところで、放牧された馬が草を食んでいたり、のんびりと釣りをしているおじさんがいたり、キャンプをしている家族がいる。景勝地としてハイキングにはもってこいの場所だ。市街地までのバスの数が限られている上、携帯の電波が入らないようなエリアなので往復分の切符を事前に購入しておいたほうがよい。どうにかヒッチハイクで街まで帰ろうとしている3人の若者がおり、彼らは大層困っていた。
集合と陽性検査
そんな感じでウシュアイアの街を観光し、ついに出港当日を迎える。集合時刻の午後二時がやってきた。
港にほど近いところにある教会にソーシャルディスタンスを保ちながらツアー客が座らされ、防護服を着たスタッフ(とくにドクターやナースというわけではないらしい)によって検査をされる。いわゆる抗原検査というもので、鼻の穴にスワブを差し込んで調べるものだ。15分ほどで検査結果がわかる簡易なものだが、アルゼンチン入国後に感染したツアー客の乗船と、それによる船内でのクラスター発生を未然に防ぐ目的としては十分そうだ。この検査が最も緊張する。ここで下手に陽性と診断されてしまった場合、当然ながら私の南極クルーズは始まる前に終わってしまう。乗船できないだけならまだしも、当然に出国もできなければウシュアイアを出る飛行機にも乗れない。自己隔離のためにホテルに自費で籠もるくらいしかできないだろう。高いお金と長い時間をかけ、体力と精神力をすり減らしながらここまでたどり着いて、ここで乗船拒否になるのはあまりにもつらい。検査キットの結果が出るまでひたすら陰性を祈ることしかできない。
しかして結果は陰性だった。乗船できること、南極に行けることが、ここで初めて確定した。この時の安堵はとても大きく、張り詰めていた緊張がとけて大きく息を吐いた。いったいなぜこんな思いをしなくてはならないのか。
乗船
検査会場から港までの短い距離を結ぶシャトルバスに乗り込み、ついに夢見た南極行きの砕氷船へ搭乗する。
乗りこんですぐのところにあるレセプションで受付を済ませると、ICカード式のルームキーが渡される。船内にあるバーや売店で会計をするときにこれをタッチすることで決済金額が記録され、最終日にクレジットカードでまとめて決済することができるというもので、よくスーパー銭湯などにあるバーコード付きのロッカーキーと同様の仕組みだ。財布を持ち歩かなくて済むので便利だなと関心する。このカードはお土産として持って帰ってもいいとのことである。無料で貸し出されるロゴ入りのカードホルダーで腰にぶら下げている人が多かった。
ラウンジにはコーヒーマシンが二台設置されていて、24時間コーヒーなりお茶なりスープなりが飲めるようになっている。タイミングにもよるが、簡単なおやつも置いてありこれも好きにもっていってよい。このケーキは猛烈に甘かったので私は一つでやめておいた。
南極クルーズ船HONDIUS号の最初のイベントである注意事項説明、および避難・遭難時の対応方法が乗客全員がそろったラウンジで伝えられる。このとき全ての乗客を初めてみることになるが、思ったよりたくさんいることに驚いた。なんと163人の乗客と73人のスタッフが乗船しているらしい。全員陰性だったからといってこの人口密度は2021年の日本人にはなかなかアナーキーさを感じる。南極大陸にはあらゆる物の持ち込みも持ち出しも禁止されていること、船内で怪我や病気になったとしても医務室で対応できないレベルの大けがであればウシュアイアの街に緊急帰港する可能性があること、COVID-19の感染者が多数出た場合はアルゼンチン政府によって帰港が拒否される場合があるので定期的に抗原検査を実施することなどだ。項目としてはかなり多い。南極とは特別な場所なのだ。十分注意して過ごすよう厳命されるのでこちらも意識せざるを得ない。仮にクルーズを中断して帰港するようになった場合は「Huge financial impact」が発生するともある。つくづく人生に不要な余計なリスクを取っているなという実感がわく。
船は出港し、ウシュアイアの街からゆっくりと離れていく。10日間もこのような閉鎖空間に居続けるというのは人生で初めての体験だ。せっかくここまできたのだ。楽しんでいこう。
すでにかなり緯度の高いところにきていることもあり夜になっても日が沈まない。すでに21時を過ぎているが、いつまでも夕焼けを眺めることができる。船は大して揺れることもなくビーグル水道を滑るように進んでいく。二日後の南極大陸への到着まで、こうして昼夜を問わず船はずっと進み続けるのだ。
その3へつづく