南極にいってきた その5
南極滞在中は、天候にもよるが数多ある各地の観光スポットを一日二回のゾディアックボート乗船によって巡る。
滞在中の四日間この流れが固定される。その中から私が見て「オッ、これはいいな」と思ったスポットとイベントを以下にまとめて紹介したい。
Danco Island
エレーラ海峡に位置するダンコ島。ジェントゥーペンギンがここにもたくさんいるらしい。天気が悪く雪もぱらついている。太陽が厚い雲に隠れていると氷河の青も海の青も空の青もすっかり消えてしまい、モノクロームの世界で我々の来ている防寒着と救命道具だけしか色がない。
波に洗われない位置に高く積もった雪が重なることからわかるとおり、ダンコ島も他の南極の土地と同じように深い雪に覆われている。堅く締まった雪であればいいのだが、大抵の場所では柔らかい新雪の上を歩くことになる。
そのため希望者には赤いスノーシューが貸しだされる。わたしはこの道具を使ったことがないので何事も体験だと思い装着してみる。たしかに柔らかい雪の上でも沈むことがない。雪原でのハイキングに広く使われるもののようだ。しかし雪には沈み込まないものの、別に歩きやすくなるわけではないことがわかったため以降私は使っていない。
シャチやアザラシはペンギンの捕食者だが、法の支配の及ぶ我々人間はペンギンに手出しができないためペンギン側から勝手に近づいて来られた場合こちらはかわいさの暴力に対し抵抗もできずテュイルリー宮殿を守ったスイス傭兵のように敗北してしまう。あまりにもかわいい。
風が強く吹くと降ったばかりの雪が砂嵐のように飛びブリザードになる。当然寒いのだが、ペンギンたちは腹ばいになり風をやり過ごそうとしている。立ってるよりは風にあたる体表面積は少なくなるだろうし多少はマシだとしても、こんな過酷な環境で暮らすペンギンたちは驚異であるまえにもはや意味がわからない。ほんとうに不思議な生き物だ。
Paradise Harbour
南極で最も美しい場所(でもしい)とされているのがこのパラダイス湾で、探検したタイミングは青空ものぞいており確かに絶景と言える景色が広がっていた。氷河に囲まれており、そこから生まれたであろう無数の氷山が浮かんでいる。
ここを見ていたとき、ちょうどよく氷山が割れた。雪を踏みしめる音をおもいきり大きくしたような轟音が響きわたり、割れた氷河はその一部が海中に落ちると同時にバランスを失って海の上で回転する。海中に没しなめらかに削られた部分が海上に現れる。次はこの丸みを帯びた部分に雪が積もっていき、氷河が海にとけて消えるまで何年も何十年もかけてこのサイクルを繰り返すのだろう。
バーベキュー
晩ご飯は甲板でバーベキューだよ!とクルーから伝えられる。気温氷点下の海の上でバーベキュー、なんともおもしろそうなイベントだ。甲板に出てみると既にパーティは始まっていて大音量でクラブミュージックが流れるなかみな踊っている。隅に並んだグリルでは次から次へと肉が焼かれているしビールやワインも用意されている。
テーブルからフォークとプラスティックの皿をとって調理スタッフから肉をもらう。いろんな種類の肉と少量のジャガイモだけが焼かれており、日本でのバーベキューのようなわびさびがない。野菜という概念など存在しない世界線にきたようだ。テキサスの息吹を感じる。言うまでもなく肉はグリルを離れた瞬間から冷えていく。皿に盛られ、フォークで刺して口に運ぶころには当然ぬるくなっており、ふたくち目には冷蔵庫に入れた昨晩の残り物のように冷たくなっている。この気温とBBQは当然に相性が悪い。
私はすみっこで冷たい肉をモソモソと食い外気温でよく冷えた赤ワインを飲んでいたが、陽キャの極みみたいなアメリカ人に踊ろうと誘われる。思い返すと人に促されるのは何年も前に谷中のザクロでベリーダンスを踊らされて以来だ。空気を読める大人に成長した私はワインを片手に踊る。こぼれたワインが服に掛かって最悪になった。
Foyn Harbour
フォインハーバーはこの地で商業的な捕鯨活動が行われていた場所で、当時の痕跡が色濃く残る小さな入江だ。
1915年に座礁、船内の鯨油が炎上し大破、そのまま放棄されたノルウェーの捕鯨船Governoren号がいまも船首をのぞかせている。船の大半は海没しているが、海面に出ている部分は海鳥たちの巣として長く愛用されているようだ。100年以上この場所で南極の冷たい海風に晒された捨てられ船は心がざわつくほどエモかった。
Portal Point
クルーズの最後に訪れたポータルポイント、ここが一番景色がよかったかもしれない。天気もよく、風もなかったため暑く感じるほどで、クルーは半袖のTシャツ姿、上陸した乗客たちもみなライフジャケットと防寒着を雪の上に捨て置いていた。
近くに浮かぶテーブル形の氷山には3匹のアザラシが寝ていた。ゾディアックボートの先端が氷にぶつかっても微動だにしなかった。南極での彼らは無敵なのだろう。
再びドレーク海峡
四日目から七日目までの四日間、一日二回のゾディアックボート乗船によって巡ってきた南極探検が終わる。クルーズは残すところあの荒れ狂うドレーク海峡をもう一度渡って出港の地ウシュアイアに戻るのみとなってしまった。下船に備えて酔い止めのパッチをもう一度買って耳の裏に貼っておいた。
船内のバーでは今乗船しているHONDIUS号限定のクラフトビールが売っている。最後なので一本飲んでみることにした。特筆するような味ではないが、記念にはなる。ナッツとオカキがもらえるのが嬉しい。
ドレーク海峡の過酷さについては既に述べたとおりだが、復路も同様にひどい揺れだった。酔い止めのおかげか乗り物酔いの症状こそ発生しないものの、頭がつねにぐるぐるとしていてめまいを感じる。なのに嘔吐したくなったりはしないので例のパッチはよく効いているのだろう。この間もレクチャーが用意されていたが、それと食事の時間以外はずっと自室のベッドに寝転びながらよりもいを見続けていた。見過ぎたおかげでもはや全てのセリフが頭の中に思い浮かぶようになっている。
旅のおわり
ウシュアイアの帰港するまえにビーグル水道に停泊し、アルゼンチン当局の警備船からのチェックを受ける。船内のCOVID検査結果を確認した上での入港となるのだろう。帰着当日の朝はあわただしく、乗客全員のスーツケースをクルーたち全員がバケツリレー方式で運び出す。最後の朝食をすませ、十日ぶりに出発の地ウシュアイアの港に降り立った。たくさん背負った人生に不要なリスクの数々が全て空に溶けていくのを感じる。
下船時刻は朝の9時、ブエノスアイレスに戻る飛行機の出発時刻は午後5時なので喫茶店で時間を潰したり昼食をとる。ウシュアイアに来ることはもうないだろうが、そう思うとなんとなくさみしいもので記憶にしっかり残しておこうと思い街をうろうろ歩きまわった。
ウシュアイアからブエノスアイレスまでの飛行機には同じ南極クルーズに参加していた人がたくさん乗っていた。みな同じような日程でブエノスアイレスに戻り、一泊してそれぞれのホームに戻っていくのだろう。飛行機は満員だった。空港到着後もタクシー待ちの行列は延々と伸びていて、クリスマスイブというタイミングも重なりホテルに戻るころにはもう夜も遅かった。余談だがブエノスアイレスのタクシーは非常に悪質で料金メーターを切り通常の何倍もの値段を要求してくる。ブエノスアイレス市が公式の値段計算アプリを提供しているので、UBERなどの配車アプリが使えなかったとしても必ず事前にかかる運賃は把握しておこう。私が空港から市街地のホテルまで乗車したときは、1000円くらいの道のりに対し5000円ほど請求されたが一切取り合わずきっぱり断って下車した。とはいえこういう対応は経験がないとなかなかできなかったりもするので、多少高くても信頼できるホテルの送迎サービスでも使った方がよい。
というわけでわたしの南極旅行はここでおわる。良い旅だった。
お金の話
今回の旅行に対して掛かった費用だが、クルーズ前後のホテル代やウシュアイアまでの交通費や観光や飲食費など全て込みでひとりぶん105万円だった。青春しゃくまんえん。10日間の南極旅行の対価として、高いだろうか、安いだろうか。私はコロナ禍で使い道のなかったJALマイルで東京からブエノスアイレスまで行ったので航空券代はかかっていないが、そこを普通に計上した場合は120万円から130万円くらいになるのではないかと思う。105万円のうち支配的なのはもちろんクルーズ会社に支払ったツアー代で、これが8500USDだった。購入当時のレートで98万円くらいとなる。二人用の部屋にしたためこの値段設定となっており、四人用のキャビンであれば5000USD以下ですむ。英語によるコミュニケーション能力に自信があるか、4人家族、あるいは友達4人組なんかで行って一部屋占有するのが最もコスパが良いツアーになるだろう。一人で参加しているという人も多かったが、誰がくるのか出発の日までわからないという共同の部屋に10日間となると変な人が来たときはキツそうだなと思う。
支払う金額は一部屋を何人で使うか以外にも、もちろん部屋のクオリティによっても変わる。安い部屋は小さい丸い窓しかなかったりベッドも壁からシングルベッドが水平に生えているようなところになるし、他方高い部屋はもちろん広いふかふかのベッドが部屋の真ん中にあり、冷蔵庫とかベランダとかコーヒーマシンまで備わっている。わたしの泊まった部屋はアップグレードしてもらえたからかウェルカムドリンクというのか、スパークリングワインが部屋に一本置いてあった。
当初使おうと思っていた読売旅行社の南極ツアーは200万円から300万円ほどなのでそれに比べれば少なくとも百万円くらいは安い。しかし日本の旅行会社によるチャーター企画であれば日本語でのガイドやレクチャーを実施してくれることはもちろん、ほぼすべての乗客が日本人となるので外国語のストレスもない。それなりに長いツアーであるし、最初からすべておまかせできるこういったプランを使うことは決してもったいない選択ではない。私は日本国内に戻らない旅程だったのでもとより使えなかったのだが、自分でクルーズを予約し、飛行機を予約し、ホテルを予約し、保険に加入してクルーズ会社と英語で様々なやりとりをする作業は慣れてないとかなり面倒だ。クルーズなら過去に自分で乗ったことあるよ、という人であっても、このご時世で出港の地までに必要な手続きを正確におこなえる自信がある人はそうそういないのではと思う。アルゼンチン政府はワクチンの接種証明と陰性証明に加えて滞在中の新型コロナウイルスによる症状をカバーしていることを示した海外旅行保険の英文付保証明書を求めている。加入方法、証明書の取得方法はわかるだろうか。いい値段するツアーだからこそ、もし南極に行ってみたいなと思われた方には後悔のない選択をとっていただきたいなと思う。
インターネットの話
実はクルーズ船の中からWi-Fiを使うことができる。速度もそれなりに速く、撮影したペンギンの写真をすぐSNSに投稿することが可能だ。ユビキタス社会である。
なにが問題なのか。めちゃくちゃ料金が高いのだ。100MBで30EURかかる。動画広告なんて開いたらもう最悪だ。一瞬で使い果たす。ダイアルアップ時代のように通信したら即切断するというレトロな操作が求められる。ちなみにいまあなたが読んでいるこの記事は8MBある。南極で開くべきではない。ちなみにOceanwide Expedition社のクルーズでは一人100MBぶんのインターネットバウチャーをプレゼントしてくれるため、軽いメールやメッセージのやりとりなら事足りてしまうだろう。
持ち物の話
コインランドリーはないが、有料のランドリーサービスはある。なので使ったシャツや下着を洗濯してまた使ったりはできるのだが、これももちろん安くはない。パンツ一枚の洗濯に500円かかるので、できれば衣類は多めに持っていき自宅でまとめて洗濯するほうがいいと思う。あるいはバスルームでシャワーを浴びるついでに手洗いでもよい。私はそうしていた。洗いづらい防寒着はファブリーズをかけるだけでも十分だろうし、洗濯物を乾かすための洗濯紐もあるとよい。室内干しは非常に乾燥している船室への加湿効果も見込める。
バスルームのアメニティは欧米のホテルでありがちな最小限のものになっており、たとえば歯ブラシや歯磨き粉はない。また、シャンプーやリンスも備え付けのものはあるが日本で買えるような高品質のものではない謎ブランドのもののため自分で体質に合う物をもっていくことをオススメしたい。
防寒着と耐水パンツが必須だが、これはレンタルも可能だった。自分で買うにしても日本国内であればどちらもワークマンでそろえてしまえば安く上がるし、すでに登山やスキーのためのウェアがあればそれを持っていくだけで十分である。上等な防寒着をプレゼントしてくれるクルーズもあるのだが、日本国内に戻ったあと使うかというと道北在住でもなければタンスの肥やしになってしまうのではないだろうか。防寒着のついてこないクルーズを選べば多少安く収まる気がする。
カメラの話
多くの人にとって一生で一回しか行かない場所となる南極ツアー。その参加者がクルージング中になにをするかといえば例外なく大量に写真をとることである。たくさんの参加者が見るからに高そうなカメラをもってきており、中にはバズーカみたいな巨大なレンズを使って南極の動物を撮影している人もちらほらいる。写真撮影にそれほど興味が無い参加者だろうが、普通のスマホで撮影している人も中にはいた。しかしそれはやはり撮影機材として使いやすいものではなかっただろうなと思う。私は首からさげた小さな単焦点のコンデジで全ての写真を撮っていた。それでもちゃんとしたカメラを持っていってよかったなと心から感じる。
寒い場所なのでバッテリーの予備を持っていったりすることをオススメしている人が多いが、午前午後それぞれのゾディアッククルーズのあとは毎回船にもどって充電できるので私は結局一度も交換しなかった。保険のためにもっていくくらいでよさそうに思う。それに対してSDカードやポータブルストレージなどのメディアは多めに持っていった方が間違いなくいい。南極にいるあいだはどちらを向いても絶景が広がる。再訪しようとすると百万、二百万かかると思うとひっきりなしにシャッターを切りたくなるし、クジラやシャチのような散発的に海面に顔を出す生き物を前にすると連写状態になる。しかしながら前述したように高速なインターネット回線が使える環境ではないため、撮影したデータは他のストレージに移すくらいのことしかできない。最近の高画質なカメラで撮った写真データはRAW形式だと50MBとか80MBとかあるし(無圧縮ならもちろんもっと大きい)、そういうカメラを使う人は当然大量に撮影するので空き容量はいくらあっても足りなくなると思う。写真撮影が趣味でもない私でも2000枚も撮っていた。人生でもっとも写真撮影をした10日間だった。
食事の話
わたしは写真が下手なのであんまり美味しそうに見せられないのが申し訳ないが、既に他の記事でも書いているとおりクルーズ中の食事はいつも非常に美味しかった。温かいスープとサラダにメインのプレート、最後にデザートというのが基本の組み合わせだが、ビュッフェスタイル(取り分けは現在はスタッフがやる)なので苦手なものを避けたり減らしたりもできる。量も十分で栄養バランスも優れており、一生ここで食事をとりたいなと思った。
毎食違うメニューが提供されるしおかわりももらえる。アルコールがないと食事の正当な評価ができない!という人にもビールやワインが用意されているし、予算に応じて高いボトルを開けてもらうことも可能だ。最終日でも新鮮なサラダが食べられるという食材の見事な管理には脱帽する。この点は本当によかった。
タイミングの話
2021年の12月は南極旅行のタイミングとしてははっきり言って不適切と言わざるを得ない。クルーズを予約するときには存在しなかったオミクロン株と呼ばれる変異種がちょうど広がりはじめ、日本が鎖国を決定する前後に旅行出発の日がかぶるような日程になってしまった。そういった感染症におびえながらの、とにかく手間と精神的負担がかかる旅だった。日本出国前の検査、乗船前の検査、航海中毎日実施される検査、出国時の検査……。これこそがニューノーマルなクルーズ旅行かもしれないが、2019年のそれとくらべたら十分に異常な行程だ。出国から乗船までがこんなに遠いとは想像もしていなかった。入出国に必要な検査代は自己負担になるし、下手に陽性が出たらその時点で旅行は中止となる。高いお金を出して2週間なりの休暇を取って、最終的に楽しめなくなるリスクについては十分考える必要がある。私は結果的には通路故障なく南極旅行が楽しめたが、この世界が完全にウィズコロナと言える状態に落ち着いてからのほうが安心して参加できることは言うまでもない。
感染への不安も大きいが、私自身がコントロールできない事項も多く、先の見えない環境下で飛行機やホテルや各種移動手段を調べてまとめて共有したり、時節柄の疑問があれば(2名とはいえ)グループ旅行の代表者としてクルーズ会社に問い合わせたり、その会社側からも私宛に全ての連絡がくるのでそれを転送したり代わりに返信したりする。南極クルーズに特有の書類仕事や埋めるべきWebフォームは大量にある。こういった作業は一般的な旅行とは比べものにならないほど多かったし、否が応でも契約当事者として全ての責任がついてまわる。金額も大きく、申し込みから参加までの時間が非常に長いということもあるため信頼できる相手以外との参加はトラブルの元にもなりうる。グループ旅行の代表者になるのであればそういった覚悟が求められることも把握しておこう。
行ってよかったか
行ってよかった。 南極大陸に行ったことのある人間になったというステータスも旅好きとしてはなかなかうれしい。たしかに手間も金もかかるし体力もいるし行って見られるものは海の生き物と大量の氷山ばかりだが、そのどれもが「嵐と荒波に守られた氷の大陸」でしか見られない景色だ。そしてそれは間違いなく素晴らしかった。もしあなたが旅行が好きで、さらに冒険が好きなら南極は目的地の一つとして悪くない。いま振り返ってみても得られる体験の対価として百万円でも二百万円でも過分ではないし、無事ツアーを終えられたなら決して後悔することはないと思う。
もし行きたいと思ったなら次はあなたの番です。気をつけていってらっしゃい。