バヌアツでカヴァを飲んでみた

カヴァ(Wikipedia)という飲み物がある。太平洋の島々に自生するカヴァの木の根っこを細かく砕き、水を加えて漉した飲料で、メラネシア・ポリネシア諸国の一部で飲まれている。ごく少ないがハワイにもカヴァを提供する飲食店があり、もしかしたら飲んだことがあるという日本人もいるかもしれない。アルコールは含まれていないものの、鎮静作用や酩酊感をもたらすとされている。

このカヴァはバヌアツが原産地で、当地ではほかの国よりもかなり濃いカヴァが飲まれていると聞いた。味も風味も効果も強いらしい。わたしは変な食べ物や飲み物が好きなので(パプアニューギニアのビンロウとか、バター餅とか、岐阜の猿とか、チェコの温泉とか、サラダパンとか)、いつかはカヴァを飲んでみたい、あわよくば本場バヌアツの濃いカヴァを飲んでみたいと強く思うようになっていた。

ナカマルにいこう

コロナ禍が過ぎ去り国境が再び開いたバヌアツに到着し、最初の夕方、旅行の一番の目的であったカヴァを飲むためにカヴァバーにいってみた。住宅地の真ん中、とくに目立つ看板もなく、装飾もない。すこし大きめの民家くらいのものだ。伝統的に「ナカマル」(Wikipedia)と呼ばれている場所で、元々は現地のビスラマ語で「人々の集う場所」という意味だが、現在ではもっぱら「カヴァを飲むための場所」として用いられる。

ロニーズ・ナカマル

まだ日はでている明るい時間ではあるが、老若男女のバヌアツ人たちはすでにカヴァを飲んで談笑しているようだった。アジア人は一人もいないし、旅行客も見当たらない。おそるおそる入ってみる。

カヴァを買う

ナカマルにはカヴァの販売窓口がいくつかある。各窓でそれぞれ手作りしたカヴァを販売していて、すこしずつ味が違うらしい。とりあえず目についた窓口で一番小さい金額の紙幣を手渡し、一杯くださいと声をかけてみる。小さいカップで100バツ。日本円で100円ほどだ。どの窓口でも同じ値段になっていて、しかもかなり長いこと値上げも値下げもせずいつでも同じ値段であるらしい。スーパーでビールを買うよりも全然安い。

窓口の内側には白い大きなバケツに泥のような見た目の液体が貯まっている。この白いバケツは一回りおおきい氷水の張られたタライに浮いている。店員さんはオーダーごとに木の棒でガシャガシャとかき混ぜる。原料が木と水なわけだし、しばらくおいとけば簡単に分離してしまうのだろう。

はじめてのカヴァ

かき混ざった白いバケツの中にさじを突っ込み、器にそそいで手渡される。ひんやりとした液体をもちながら空いてるテーブルにつく。ついに憧れのカヴァ、しかも濃くて効能の強いバヌアツのカヴァだ。カヴァ界のロールスロイスがいま目の前にある。

カヴァを飲む

とりあえず一口飲んでみる。初めてのカヴァは、なんとも形容しづらい味をしている。香ばしさを一切なくし、植物の青臭さを加えたコーヒーが多少近いのではないかと思う。コショウ科の木の根っことはいえ、名前から想像するようなコショウ的なスパイス感はとくに感じない。少年時代にこの液体を飲んでいたら間違いなく吐き出していたと思う。口に含むと、「吐くか、吐かないか、いや、いける、ガンバレ」と 嘔吐(えづ)きと戦う自分を心の中でつい励ましてしまうような、そんな味だった。

まぁ、あまり美味しいものではない。これは私が慣れていないだけなのかなと思ったが、「初めて飲んだけど、あんまりおいしくないね」と近くにいる若いバヌアツ人に話してみると、彼は笑いながら「永遠にマズいままだよ」と返された。バヌアツ人でさえ永遠にマズいままの液体なら、初めて飲んだ私にとって美味しいものであろうはずもない。

二杯目のカヴァ

「ナイトー! もう一杯飲むか?」さっき話しかけた彼に誘われる。「イエス、オフコース!」と答えて二杯目を窓口で注いでもらった。カヴァとは、そもそもナカマルのテーブルについてひとくちずつ飲む悠長なものではないらしい。こぼれてもいいように水飲み場で、テキーラショットのように一気に飲むことが肝要であるとレクチャーを受けた。教えてくれた通りに水飲み場で一気に飲み干す。

……やはり難しい味をしている……。水道の水で器をすすぎ、きれいになった器で水を汲んで口の中を洗う。ここまでが正式なカヴァの摂取方法なのだ。ここまでが正式なカヴァを飲むバヌアツのスタイルとして確立されている理由を思うと、伝統的にこの飲み物はマズいと思われているということなのだろう。ワインであれ緑茶であれ、嗜好飲料を飲んだ後に水道で口をゆすぐなんて作法は聞いたことがない。

口中が不快になるので皆そこらに唾を吐きまくっている

カヴァの作法を教えてくれた彼は「これ飲みな」とスプライトのペットボトルを渡してくれた。炭酸が抜けてぬるくなったスプライトのコッテリとした甘みは口内に残るカヴァの苦みを洗い流してくれる。あたりを見回すと、みんなそれぞれかなり甘い部類の炭酸飲料のボトルを手元に置いている。若者も、年寄りも、みんな同じ飲み方をする。みんなカヴァの味が好きで飲んでいるわけではないのかもしれない。

カヴァと対話する

どのナカマルにもまともな照明がない。BGMもない。南の島らしい温暖な気候もあり、壁もない。公園みたいな場所だ。

夕暮れのナカマル

ナカマルにいたおじさんが教えてくれることには、それには理由があり、カヴァを飲んだあとは光がまぶしく感じられ、小さな音も大きく感じるようになるのだという。薬物乱用の症状のようでもある。わたしはあまりそれらの変化は感じられなかったが、唇や舌がすこし痺れていることはわかった。このしびれがカヴァ飲用の初期症状だ。日暮れ時のナカマルで、カヴァによる身体症状をゆったりと静かに味わうのだ。ぼんやりと、常夏の夕闇の中で、ほのかな酩酊を感じる。それがカヴァとの対話であると教わる。

ナカマルのオーナー氏

誘われるたびにカヴァを飲む。この島の人たちはみな本当に優しい。バヌアツへ旅行にくるオーストラリア人以外の外国人は少なく、さらに英語が話せる日本人は珍しいのだろう。毎回カヴァを奢ってくれるのだ。そして私は断るということを知らない。するといつのまにやら10杯ほどのカヴァを飲んでいたことに気づく。ただ、カヴァで酔っ払ったりはしなかった。「こんなもんなのかな…?」と思いつつバヌアツ人たちとおしゃべりをしていると「ナイトー、タスカーは飲むか?」と声を掛けられる。タスカーってなんだっけ、と思ってまごついていると、「タスカー、ビールだよビール」と教えてくれた。好きなだけカヴァを飲んだらビールで〆るのが流儀らしい。「飲みます!」と答えたらよく冷えたタスカーの瓶が目の前にやってきた。

この一本のビールが強烈だった。一口飲むごとに視界が揺らめき目の焦点が合わなくなってくる。胃袋にたまったカヴァに、たかだか数パーセントのアルコールが混じるだけでこんなにひどく酔っ払うとは思っていなかった。さっきまでケロッとしていたというのにたちまち足下はふらつき、道路事情の悪いバヌアツのアスファルトを歩くのはちょっと危ないなと感じるほど酩酊した。まっすぐ歩けなくなってしまった。しかしアルコール飲料の多量摂取で酔う感覚とはかなり異なる。自分が酩酊していることは頭で理解できていて、記憶がなくなる様子もない。頭はちゃんと働いている。なのに肉体は完全に泥酔状態なのだ。これは初めての感覚だった。

結局一緒にカヴァを飲んでいた若いバヌアツ人に車で送ってもらった。わたしのほかにも二人、べろべろに酔っ払った男をのせ、別の酔っ払った男が運転する車に乗るわけである。怖いなと思うが、仕方ない。ドライバーをかってでたバヌアツ人の男は親切で、車から降りるとわたしに肩を貸し、泊まっている宿の部屋の前まで連れて行ってくれた。丁寧にお礼を言って彼と別れ、部屋のベッドで横になる。良い体験だったな、と一生忘れないであろう夜の思い出をふりかえる。やはり頭はちゃんと動いているような気がするのがとても不思議だ。

カヴァを飲んだあとは喉が渇く。覚醒剤を使用したときの副作用として保健体育の授業で学んだような気がする。枕元に水のボトルを数本置いておいた午前中の自分を心の中で褒めちぎり、酔いを覚ますためにもきっと効果的だろうと思ってたっぷり飲んで眠りについた。

翌朝目覚めると頭も体もごく普通にすっきりとしている。記憶が欠落している様子もない。痛飲して翌朝後悔するといった感じは全くない。ナカマルの人たちも「カヴァで二日酔いにはならないよ」と言っていたが、まさにそのとおりだった。私はもともとアルコール飲料で酔ったとしても二日酔いにはならない体質ではあるが、だれであれ二日酔いにならないのであれば、これは飲酒よりも多少健康的といえるかもしれない。ただ、私にはおいしいビールを飲む方が気性に合っているなと思った。