マチュピチュにいってきた
ひとたびウユニ塩湖に行ってしまったのであれば、これはもうマチュピチュにも行かなくてはならない。元気な大学生と動画配信者がこぞって向かう南米の定番旅行先二大巨頭である。いまさらこんなコテコテの旅行先はダサいかな、やっぱやめようかな、と思ってしまうところだが、ウユニまで行ってしまったらもう同じであろう。腹をくくってワンオブゼムになるしかない。もう逃げられないところまで来てしまった。毒を食らわば皿までである。これでもかといわんばかりに大衆性をおびた観光スポットだからって旅を恥ずかしがっていたら前に進めない。型通りの同じような写真をいっぱい撮ってインスタにアップしよう。ガクチカのエピソードにしよう。各地の絶景と子どもたちの笑顔で写真展をひらこう。カンボジアに学校を建てよう。信頼しあえる仲間たちと出逢い思いっきり泣いたり笑ったりしよう。ぬるま湯につかっているもどかしい現状を打破しよう。かけがえのない思い出をたくさんつくって新しい世界で新しい自分を見つけよう。
そんな「えっ、今?」の観光地、マチュピチュにいってきた。
ペルーの首都リマからマチュピチュ観光の拠点になるクスコに移動する。陸路でも行けることは行けるが、山岳地帯を通るため大きく迂回する必要があり、一応存在する直通の高速バスでも20時間以上かかる。空輸できない荷物があるとかでなければ普通に飛行機で行く方が便利で快適だ。空路の利用者が多いこともあり早朝から深夜まで本数も非常に多く設定されていて、値段も1万円以下と高速バスに比べても十分競争力のある価格になっている。就航数が多いだけあり直近でも簡単に予約できる。
空港には無数に集まるタクシードライバーたちの熱のこもった客引きが待っている。Uberなどの配車アプリも使えるので不安なら怪しげな人々は最初から無視しよう。空港前から市街地まではおよそ650円、20分ほどだった。
クスコの街
インカ帝国時代の都だったクスコ。街の中心に位置するアルマス広場はスペイン統治時代の聖堂や教会が建ち並び、コロニアル風のアーケードで囲まれている。無数のレストランや旅行代理店、お土産屋や両替商がひしめく観光拠点だ。クスコ市民と観光客の憩いの場であるこの広場では、ぼんやりしていると寄付金をもとめてくるおばさんだの靴みがきのおじさんだの、外国人観光客に集る怪しげな人々がちらほら寄ってくるので注意しよう。この街自体はそれほど治安の悪い場所ではないのだが、パリやローマのそれらと同じように土産物の押し売りや観光客へのチップの要求なんかで揉めている様子は滞在中によくみかけた。
石積みの精緻さ知られるインカの建築は街の至る所で見かけることができる。適当な通りをうろうろしていると、地元の人らしきおじさんに「そこの岩が有名なやつだよ!」と壁を指さされた。それまで私は知らなかったのだが、Hatunrumiyoc通りの壁にしれっと埋まっている「12角の石」は特に有名なようで、観光名所であると同時にこの街人々にとってもインカの建築技術の高さを示す大きな誇りでもあるという。
クスコの街自体もペルーを代表する大都市であり、たくさんの人々の生活の場になっている。街を歩けば野菜や果物、肉や生活雑貨を売る露天が並んでいて、それらの隙間をだらだらと歩くだけでも非常に面白い。
ペルー鉄道
クスコ市街地からマチュピチュまではいくつかの行き方がある。もっともメジャーなルートとしては、クスコ市街地からオリャンタイタンボ駅までをバスやタクシーで、オリャンタイタンボ駅からマチュピチュ駅までを特急列車で、というのが定番だ。時期によってはクスコ市街の駅からマチュピチュまでの直通列車も運行しているものの、雨期は全面的に運行休止、そうでない時期も運行本数は非常に少なくなっている。
そのため、観光客の利便のため(と鉄道会社の利益確保のため)にバイモーダル(Bimodal)と呼ばれるサービスが存在しており、バスでクスコからオリャンタイタンボ駅までいくチケットと、それに接続するように発車するオリャンタイタンボ駅からマチュピチュ駅までの特急列車チケットがセットになった商品が売られている。とくに希望がなければこれを使っておくのが一番楽だろう。ネットで事前予約した場合でも、前日までに街や空港にあるチケットオフィスで切符を発券してもらう必要があるので気をつけよう。
クスコから日帰りで行くチケットを買ったなら出発は未明。バスの出発は5:10で、4:40に集合するよう指定されている。深夜3時頃出発するさらに早い便も設定されているので、現地での活動時間を最大化したいとか、あるいは登山もしたいとかであればそちらを選んでも良さそうだ。
集合場所のバスターミナルにはすでに乗客が何人も待っていた。全員この場所が集合地点として正しいのかわからないので微妙にうろうろ、きょろきょろしながら時間を潰している。ツアーの担当者が出迎えてくれるわけでもないのでみな不安なのだ。
集合場所は合っていたようで、出発時刻が近づくとスタッフがどこからともなく現れて乗客を誘導する。チケットを確認しながら座席に座らせていき、全員が着座するとバスはまもなく走り出した。40人分の眠気をのせた高速バスは暗闇に染まる夜明け前のクスコ市街を走り抜け、二時間ほどで朝靄にかすむオリャンタイタンボの街に到着する。
ここでまた乗客たちはそれぞれの予約した列車に乗り込んでゆく。オリャンタイタンボからマチュピチュまではペルーレイル社とインカレール社の2つの鉄道会社が同じルートで運行しており、どちらを選んでも大して値段は変わらず、同じ駅から同じ駅を結んでいて、所要時間も変わらず、車両も両社趣向を凝らした天井も壁も窓だらけの観光列車が使える。好きな方を選ぼう。
距離でいえばたった40kmほどしかないのに90分かけて走行する。特急列車とはいってもそんなにスピードも出さずに川沿いを淡々とすすんでいく。途中停車する駅だってひとつもないが、しかし東京の地下鉄よりも遅い。乗客を見回すと、やはりみな朝早かったのか秋(4月)の暖かい日差しとのんびり進む列車の揺れを受けてうつらうつらとしていた。
朝5時の出発からすでに4時間がたち、日も高くなった午前9時過ぎにマチュピチュ駅に到着した。列車を降りれば狭い構内ははちゃめちゃに混雑している。オーバーツーリズムの極みだ。どこへ向かうのかはわからないが、人の流れに身を任せていれば到着しそうだという確信が芽生える。
駅から遺跡のある山頂まではシャトルバスが出ている。これが最後のステップだ。たいした距離ではないので徒歩で登ることもできるが、結構高所なのでバスで行くのをおすすめしたい。なおシャトルバスのチケットは往復で24ドルもする。バスに空席がなくなり次第の出発であるが、観光客などこの地に無数にいるので10分と待つことはないだろう。絶え間なく観光客を運びつづけるバス会社は毎日死ぬほど儲かるだろうが、この辺境の地までバスを何十台も運び込み、日々どこぞから運んできた燃料をタンクに詰め込む労力を考えたら24ドルという価格設定もちょっとは許せるかもしれない。
マチュピチュ遺跡
というわけで到着した。ついにやってきた。南米最大の観光スポット、マチュピチュだ! これまで散々液晶越しで見てきた景色そのものが広がっている。
私が訪れた4月は南米において一般的に雨期のおわり頃とされる。もう乾期のはじまりに入っていたのか、空はよく晴れていて空は青々と澄んでいる。天候は完璧だ。「ウユニ塩湖には雨期に行きたいし、マチュピチュには乾期に行きたいな」という人はこの時期を狙うといいような気がする。いわゆる鏡張りのウユニは雨期が終わってもしばらく続くし、そのころは乾期のマチュピチュを楽しめる確率が、多少は高いかもしれない。
段々畑になっている。この場所でジャガイモやトウモロコシが栽培されていたことがわかっているらしい。おもったより広いが、観光客が歩いても良い場所は事前に数パターンのルートから決められていて好き勝手うろうろできる感じではない。順路を逆走することは禁止されているうえ(まぁ戻ったってバレやしないだろうが)、さらにやっかいなことにすべての入場客は選択したルートごとに滞在時間にも制限が課せられているし、トイレは外にしかないし、再入場もできない。なかなか窮屈な観光スポットだ。
太陽の神殿の真下にある横穴。王族のミイラを設置していたらしい。石造りなのにグネグネと巨石が密着していておもしろい。これはたしかにほかの場所でみたことのない造形だ。
ミッチリと隙間なく積まれた石壁は必ずしも大きなものが下部に置かれるわけでなくまだらになっている。石と石の隙間も4スミが同時に集まることなく、すべてT字に合わさっている。クスコ市内でも見たが、やはりこの地における石積みの技術は本当に感動的だ。
マチュピチュ周辺には雨が多く、水には恵まれている。近くの森から引いてきた水は石造りの水路をとおり、15世紀のインカ帝国時代から500年経過するいまも水場にながれている。
マチュピチュには最盛期に750人ほどのインカ人が生活していたらしい。クスコから歩いてここまで来るだけでも大変な旅であろうに、この山の上にこの大量の石を運び込んで来たのもすごいなと思っていたが、この石自体は山の上に自然に存在していたものを利用したらしく、石切り場には未加工の岩石や加工途中のくさび跡が残る石材がころがっていた。
マチュピチュの周りを取り囲むように3つの山(ワイナピチュ山、マチュピチュ山、フチュイピチュ山)がそびえる。このなかで一番近く、初心者でも登りやすいフチュイピチュに登ってみることにした。
麓から30分足らずで簡単に登れるので楽勝である。マチュピチュは山に登るだけでも予約が必要なのだが、フチュイピチュはほかの山よりも低く人気もない。しかし登り切った山頂からの景色は爽快で、遺跡の全容もちゃんと眼下に望むことができる。枠が空いていれば投機的に予約しておくのがおすすめだ。
マチュピチュ村
遺跡のある山頂からバスで下山し、麓の村にもどってきた。復路の列車が出発するまで村を歩いてみよう。マチュピチュ村の規模は非常に小さく、二時間もあれば十分回りきれる。ちょっとうろついてみよう。
川沿いに隙間なく立ち並ぶ建物は日本の温泉街のような雰囲気をかもしている。アンドラで見た景色よりもさらに日本らしさが強まった。この村の正式名称は「アグアス・カリエンテス(Aguas Calientes)」という。スペイン語で「熱い水」という名が付けられていることからもわかるとおり、実際にこの場所は温泉街でもあるのだ。鬼怒川ペルー支所である。
帰ろう
16:22発の列車でクスコに帰ることにした。もっと遅い便もあるが、私はこの時間でちょうどよかった。この小さなマチュピチュ村をうろうろするだけでは退屈してしまう。
行きと同じように車内イベントが詰め込まれた列車でマチュピチュを離れる。行きはまだ朝早いからかしっとりとした雰囲気だったが、帰路は結構激しめである。わたしもペルー人スタッフたちに囲まれ、立たされ、手を取られ、そして踊らされた。
来たときと同じようにオリャンタイタンボ駅でバスに乗り換え、クスコの街に戻ってゆく。未明から活動を始めなくてはならないのは多少難点かもしれないが、日帰りで見に行くにはちょうどいい旅行先だった。
どうだった?
なかなかよかった。うん、行ってよかった。結局そうなんだ。知ってた。わかってたよ。そりゃ世界中から観光客が集まる観光地なわけだ。入場料5000円に交通費10000円と、一カ所の遺跡としてはなかなか値段の高い観光地であるが、ちゃんと楽しかったしその価値があったような気もする。手のひらをつい返してしまいたくなる観光名所だった。もう中馬庚でも正岡子規でもいい。人気ある観光名所はやっぱり良い場所なのだ。
もしあなたが「マチュピチュなんて行ったらトリッピース罪で無期懲役、旅人の集まるシェアハウスに収監されて刑務作業でノマドライフをやらされるのでは」と躊躇っているとしても、もし興味が芽生えているなら早めに行ってしまった方がいいかもしれない。それはこの地を訪れることへの制約が年々厳しくなっているからだ。上で触れたスポットのいくつかでさえすでにもう見ることができなくなっている。来場者の増加とともにどんどん過激になる入場規制、滞在可能時間の短縮、チケット価格の上昇、それに加えて遺跡自体も自然災害と隣り合わせの山岳地帯にあり、いずれはこんな気軽に見に行くこと自体がかなわなくなりそうな気配も非常に色濃い。
このマチュピチュからほど近い場所に大規模な国際空港の開港も決まっており、観光開発自体はこれからも進んでいくことが宿命づけられている。スペインによるインカ帝国侵略からまもなく500年、遺跡となったインカの街は、いまは観光圧力によって危機に瀕している。マチュピチュもウユニも隅々まで快適なサービス商品で構成され、戯画化された文化らしきもの、あるいは自然らしきものを受動的に味わうだけの俗悪な大衆観光にすぎないかもしれないが、目的地そのものが不可逆に失われてしまえば元も子もない。推しは推せる時に推せという。旅も行けるうちに行っておこう。言い訳は一緒に考えてあげるから。