ボリビアの首都ラパスにいってきた
とても楽しく過ごした我が愛するパラグアイを離れ、次の国ボリビアを目指すことにする。パラグアイの首都アスンシオンの国際空港までUBERで移動し(中南米はタクシーがとても安い)、チェックインを済ませて航空券を受け取る。ボリビアの首都ラパスは世界最高標高にある都市として知られており、標高4000メートルを超える近郊のエルアルト国際空港は飛行機の長距離便が就航できないという制限がある。そのため大半の長距離便は標高400メートル程度に位置するボリビア第二の都市サンタクルスのビルビル空港を経由するフライトとなっている。
降り立った夜のラパスは当然ながら非常に寒い。パラグアイではずっと半袖で過ごしていたのだから風邪を引きそうな気温だ。この日の最低気温は5℃。みなダウンを着ている。私も久しぶりに南極旅行の時に着ていたファイントラックのジャケットを着る。
エルアルト空港から市街地までは乗り合いバスも出ているが、大して高くもないのでタクシーで移動しよう。私は事前に予約したホテルにタクシー運賃の相場とその安全性を問い合わせていたのだが、曰くタクシーは非常に安全で値段は70-80ボリビアーノ程度だという。到着ロビーから外にでればいろんなドライバーが「タクシー?」と声を掛けてくる。なぜかこの空港ではふっかけてくるやつがおらず、みな同じ価格で客引きをしてきた。ほかの南米の空港に無限に沸いている白タクは排除されているのかもしれない。すり鉢状のラパス市内の外周部に位置する空港から中心部の底へ向かって円を描くように引かれた高速道路を下っていく。夜の到着であればなおのこと、ホテルのエントランスまで直行してくれるタクシーを使いたいところだ。
ペルー国境から南東に向けて国土を貫くアンデス山脈によって国土の大半は高度3000メートルを超えており、年中寒冷な気候になっている。いまいるラパスに限っていえば4000メートルを超える標高に位置しているため、空気は当然ながら非常に薄い。海抜ゼロメートルに近いアスンシオンから飛行機で直接やってきたばかりだと、外を軽く歩くだけで息が上がり高山病の症状に悩まされることになる。高山病は頭痛や吐き気などだけであればまだマシで、場合によっては死に至るという。気をつけてなんとかなるものではないが、とりあえずゆっくり歩くこととアルコールの摂取を控えること、そして高山病の薬を適切に服用して対策しよう。そこらの薬局で「Sorojchi pill(ソロッチピル)をくれ」と言えば簡単に買える。ボリビア人であれラパス在住でもなければ高山病は避けられないものだし、薬の入手に苦労することはない。
ラパスの街も他の南米諸国の都市と同じような街並みではあるが、しかしその地形はあまりにも異なる。標高はもちろん、気軽な街歩きにすら難儀するほどの急坂ばかりなのだ。無理をせずにこまめに休憩をとったり、時間がもったいないなどと思わず、無理しないでホテルの部屋で休もう。
地面にちょっとした空きがあればボリビア人はお店を開く。売っているものは多種多様で、タバコやガムを売っていたり、テレビのリモコンばかりたくさん売っているお店もある。盗品であろうスマホがたくさん並んだお店を見て、買ったばかりのiPhoneをこの街で盗られたという日本人女性の話を思い出した。治安がいいとされているボリビアでも気をつけるに越したことはない。
ロープウェイ
ラパス市内から空を見上げると至る所へゴンドラが滑っていく。高低差が異常なほどあり、かつスプロール化の著しい都心部の慢性的な渋滞が理由でバスよりも早く安全に移動できる手段としてロープウェイがたくさん使われているのだ。一つの街にこれほど多くの索道路線が存在するところはラパスの他にはない。世界最大の都市ロープウェイ網だ。高所を通る景色の良さや安価な運賃(50円くらい)もあり、このロープウェイ自体がラパスの新しい観光名所となっている。
街を歩いていればそこかしこにロープウェイの駅が見つけられる。一つの路線に複数の駅が設置されているが、路線ごとに色分けされているので迷うことはたぶんない。一日乗車券などが売られていればいいのだが、そういうものは無さそうだった。
乗降時はゴンドラの動きが十分に減速して安全に乗り降りできるようになるが、ひとたび駅を離れると結構なスピードで街の上を飛んでいく。路線によっては崖の上へ向かって勢いよく登っていくようなスリリングな景色も楽しめる。
余談だがラパスのロープウェイから見る夜景は殊に素晴らしい。南米の大都市で夜間に出歩くのはできれば避けるべきだが、もし見る機会があればこちらは是非試していただきたいなと思う。眼下に広がるラパス市内の家々に灯る無数の光は、まごうこと無く絶景だ。
月の谷
ラパス市の北に月の谷と呼ばれる公園がある。自然が作り出した造形美、といえば聞こえが良いが、要は砂岩が風雨によって削られてできた特異な地形である。ロープウェイでできるだけ近づき、そこからタクシーに乗ると安くアクセスできる。なおラパス市内ではUBERが使える。
月の谷と呼ばれる地形はボリビア以外にも、アルゼンチンにだってチリにだってある。というかチリにある月の谷に至っては私はすでに行っていた。
ラパス中心部から月の谷へ向かうミニバスを探すのは至難の業だが、月の谷から市街地へ向かうのは簡単だ。月の谷で捕まえられるミニバスはどれも中心地に向かう。下りるときにボリビアーノ硬貨を渡そう。値段は車内に書いてあったりなかったりするので、慣れないうちは周りの人の支払う金額を盗み見たり教えてもらうとよい。
ボリビア料理
ボリビアは総じて素朴な料理が多い。ほかのラテン諸国で多用されるスパイスもあまり使われないし、どちらかといえば供されるのは家庭料理のようなものばかりだった。特徴的な味付けもないので、日本人にとって口に合わないということもないだろうと思う。私は何を食べてもおいしいというのでこうして書くことになんら意味が無いのだが、ボリビア料理はおいしかった。
カーニバル
自分が泊まっているホテルに戻ろうと道を歩いていると、賑やかなアンデスの曲が聞こえてくる。ケーナという笛の音色が混じるとアンデスっぽくなるのはなんの刷り込みなのだろう。新宿の路上でペルーバンドが演奏しているのくらいしか聞き覚える機会はないような気がするので不思議だ。
なんのイベントかはよくわからなかった。
コカ
アンデス山脈をはじめとした南米の高山地域では、伝統的に高山病の対策や、あるいは単なる嗜好品としてコカの葉が利用されている。コカの葉に含まれているコカインを単離すれば世界中で規制されている薬物ができあがるため、先進国の大半ではコカの葉自体が麻薬と同じ扱いをされており、大麻に比べてもかなり厳しい規制の対象となっている。
とはいえ当地においては極めて日常的な栽培植物で、街に出ればそこらへんの売店でいくらでも手に入る。百円かそこらで袋一杯の乾燥させたコカの葉がたっぷり入手できるというのは、おそらくこの地域に限られたことであろう。
現地の人々はこのコカの葉を十枚程度手に取り、口の中で軽く噛みながら唾液と少しずつ混ぜ合わせて飲み込んだり、緑茶のようにコカの葉に熱湯を注いで湯が色づいたら飲むというように賞味している。
日本人が当地に赴いてコカの葉を使用することが果たして合法的であるかどうかについては諸説ある。「コカの葉 site:.go.jp」で政府機関のサイトを検索してみたところ、普通に使用している記事もでてきた。出てきたので書くが、私はコカの葉を袋ごと道ばたのおばあちゃんから買ってモグモグしたり、街中の喫茶店でコカ茶を注文して飲んだりしていた。味はこれまで食べたことのある野菜や茶とは異なりコカの葉独特の味と風味があるが、それほど強いクセはない。
高山病に効果があるとされているものの、しかしその効果は私にはわからなかった。到着一日目から体調が悪くベッドに伏していたわたしを助けてくれたのはホテルの近くで営業していた小さな薬局で買った一般解熱剤と高山病予防薬の二つだけだった。現代医学の威力は絶大である。
ウユニ塩湖
についてはすこし前に別の記事に書いた。→ ウユニ塩湖にいってきた
ティワナク遺跡
ボリビアの世界遺産として登録されている遺跡なのだが、ウユニ塩湖や月の谷に比べるとやや影が薄い。ツアーに参加していないとアクセスが困難であることや、そもそも見に行ったとて三内丸山遺跡のごとく、かなりの歴史好きでないと楽しみづらいからかもしれない。わたしはラパス市内ですることがとくになかったのでホテルのレセプションに隣り合っていたツアー窓口から申し込むことにした。
ラパス市内を回ってツアーの参加者を拾い、ラパス市内から西南西へ走ることおよそ1時間半。ツアー客を乗せたバンの中で、私以外はすべて南米諸国からの参加者だったためスペイン語によるガイドのあとに私一人のために英語で説明してくれる若いお兄さんに若干の申し訳なさを感じながらティワナク遺跡の概要を聞く。
ティワナク文化自体の発祥は紀元前までさかのぼり、最盛期だって千年以上前なので遺跡の風化は著しい。現在遺跡として見学できるものの多くは1970年代に半ば無理矢理復元したものばかりで、昔日の面影を残したものではないという。説明をしてくれたお兄さんによれば(隣国に対する競争心も多分にあるだろうが)ペルーのマチュピチュなんかよりもさらに古くから栄華を極めた古代都市の歴史があるとのことだ。
次の街へ
だらだらと過ごしていたボリビアを離れ、次の街へ向かう。予約した航空券の行き先はペルーの首都リマ。マチュピチュで知られた南米屈指の観光立国だ。
しかしマチュピチュである。ウユニ塩湖いってマチュピチュいってとなったらもうオワリである。そんなのタビッポとかトリッピースと同じじゃないか。インドにいって人生観変わったと言う人間と同じじゃないか。そうなりたくないなとずっと避けてきたのに、30才を迎えて結局行くことになってしまうとは……。