イスタンブールでパスポートを更新した

今から8年ほど前、在エストニア日本国大使館でパスポートを更新した。そのときから今まで何十カ国とめぐった結果、ついにパスポートの空きページが無くなってしまった。自動化ゲートに登録して入出国のスタンプを省略したり、パスポートスタンプの押す場所を入国管理官に指図したりとセコく紙面を節約してきたが、当然ページ数には制限があるのでいつかは上限に達してしまう。多くの国では入国に際するパスポートへの条件として「有効期限がXXヶ月以上あること」と「空きページが連続YYページあること」という二つを掲げている。有効期限はともかく、空きページについては国によって結構条件が異なるもので、イギリスやオーストラリアのように出入国のスタンプが廃止されていて条件がない国もあれば、連続3ページ以上の余白を求めるナミビアみたいな例もある。ペタっとシール状のビザを貼り付ける場合も、当然ブランクのページを求められる。そんなわけで余白が一切無くなった今のパスポートを使い旅をするのはかなりリスクがあるものなのだ。一度入国審査で規定量の空きページがないということで揉めたこともあった。

パプアニューギニアのビザ。1ページ全部つかって貼られる

というわけで久しぶりにパスポートの更新(切り替え申請)を行うことにした。現在のパスポートは在エストニア大使館製だ。在外公館で発給を受けた場合、パスポートの「発行官庁」欄はEmbassy of Japan in XXXXやConsulate General of Japan in YYYYといった表記になり、普通に国内で発給した場合に印字されるMinistry of Foreign Affairsではなくなる。もちろんパスポートとしての効力も有効期間も変わらないのだが、少しだけレアなパスポートとして若干の愛着が生まれるのだ。色違いのポケモンみたいなものかもしれない。

私はトルコの首都イスタンブールにある日本国総領事館で発給してもらうことにした。なぜトルコにしたのかというと、単純に手数料が安いからだ。日本の在外公館でパスポートを発給する場合、邦貨額(10年用パスポートなら16000円)に対応する金額を現地通貨で支払うことになっている。その金額は毎年4月1日に更新され、その後一年間は同じ金額のままとなる。つまり、4月以降に大きなインフレーションが起こった国で更新すれば手数料が安くなるのだ。トルコは深刻なインフレの真っ最中であるため、4月の手数料更新の時から半年ほどしか経ってないが、すでにトルコリラの価値は4割ほど落ち込んでいる。ということは4割引きでパスポートの発給が受けられるということになる。もちろんベネズエラやレバノンのような、本当に経済が崩壊している国のブラックマーケットで両替して現金を大使館に持ち込んで発給してもらえばさらに安く、国によっては数百円で済む。とはいえそういった国では日本のパスポートを作ろうとする人はほとんどおらず、近隣の国に置かれた旅券作成機を使う必要があるため発給まで一ヶ月とかかかる。長期滞在者ならまだし普通の旅行者にとって現実的な手段ではない。

イスタンブールの旧市街から電車で15分、ビジネス街が広がるエリアに総領事館はある。最寄りのLevent駅から歩いて5分ほどで総領事館の入居しているオフィスビルが姿を現す。大使館は一軒家だったり大きなビルをまるごとつかっていたりといろいろあるが、総領事館レベルだと民間の商業ビルのワンフロアを借りて営業していたりすることが多い。営業という表現がただしいかわからないが、電話で予約するときに来訪者のことをお客様と呼んでいたので営業と表現しておこう。

総領事館が入居しているビルなだけありセキュリティは非常に堅牢で、アポイントメントがないと入館できないうえ、受付から総領事館へ内線連絡による予約確認の後にカードキーを受け取り、その後荷物検査がある。ビルの10階に入居している総領事館に向かうためにエレベーターにのり、下りたところで改めて身分証と来訪目的の確認、さらに再度の荷物検査が行われる。領事館内には一切の電子機器は持ち込めず、貴重品用のロッカーにスマホは預ける必要があるし、その様子も二人の警備員にジッと見られている。ルールに乗っ取りすべての手順をすませ、やっとのことで入館する。自動ドアが開き、表れた3人目の警備員に「こんにちは」と声を掛けられ、パスポートを更新しにきた旨を伝える。

面会室のような作りの窓口でパスポートの切り替え発給を行いたい旨つたえ、申請用紙を受け取る。申請用紙の記入項目には本籍地や現在滞在している場所の住所や電話番号を書く欄もあるのだが、スマホが持ち込めないので事前にメモをとるなり暗記するなりしておく必要がある。わたしは愚かなので一度貴重品用のロッカーまでもどり、スマホで調べて記入した。

パスポート用の証明写真1枚と申請用紙、そして失効処理をしてもらうために古いパスポートを窓口で手渡す。受付の女性にそちらの席で20分ほどお待ちくださいと促され、ベンチに座って待つ。総領事館というものに来たのは初めてだが、これまで訪れたことのある大使館に比べると小振りに感じる。ワンフロアまるごと総領事館のはずなので、この小振りな待合室以外の大半の領域が領事館の執務室なのだろう。壁に貼られるポスターはどれも日本のもので、指名手配中の日本赤軍メンバーの顔写真が並んでいる朱色のポスター、選挙権年齢引き下げのポスター、北朝鮮拉致被害者救済のポスターなど、区役所や警察署に貼られているようなものばかりだった。本国から定期的に郵送されてくるのだろうか。17年前にイスタンブールで失踪した学生 松倉崇太郎さんを探しているという内容のポスターを眺めていると、再度受付から声が掛かる。

驚くべきことに、窓口にはすでに新しいパスポートができあがっていた。「えっ、もうできたんですか!」と声をあげると「普段は三日後に来ていただくんですが、現在は感染症対策で再訪しないで済むようにちょっとお待ちいただきますが当日発給の対応なんです」とのことだった。日本で申請していたら受領まで8日とか掛かるのがパスポート発給なのだ。日本より早くて安く受領できた。当日、まさかその場で受け取れるとは思っていなかった。感動した。

新しいパスポートはずいぶんデザインがかっこよくなっていた。微妙に暗い色だった表紙の菊花紋章は明るくなり、紙面も薄紫色が基調になり葛飾北斎の富嶽三十六景が描かれている。すばらしい。これまでのパスポートは各ページにページ番号がうっすら印刷されているだけだったので、日本を代表する芸術作品が日本人であることの証明書に印刷されているのは快いものである。

これまで使っていたパスポートは有効期限を約2年残しての切り替えとなった。コロナ禍で海外旅行を控えていた二年間を考えると本来はもっと早く切り替えていたのだろう。新しいパスポートはどれくらいで紙面を使い切るだろうか。あるいは旅行にいかなくなり普通に有効期限が切れてしまうかもしれない。それはそれで新しく熱中できるものを見つけられたのだろうし、そんな人生もよさそうだ。