ブルガリアにいってきた その2
Plovdiv
だらりと二週間ほど過ごしたソフィアを後にして、ブルガリア第二の都市プロブディフへ向かうことにする。ソフィアから南東へ150km、列車なら二時間ほどで到着できる。すこしもったいないが、日帰りでも迎える近さだ。
この街もまた古く、ソフィアと同じように至るところで遺跡をみることができる。やはりこの街でもその多くが雨ざらしになっていて、すぐ近くを歩いたって誰からも怒られやしない。
街の中心部ではローマ時代の競技場の遺跡が町並みに溶け込むようにして存在している。例に漏れずこの遺跡も下の方へ自由に入れるようになっており、白い階段部分では学生風の若い人たちがおしゃべりしている。紀元前4000年頃から人が住んでいたといわれるプロブディフで、遠い過去と現在を通じて同じ石段に腰掛けることができるというのはなんともロマンを感じられる。
プロブディフ市と岡山市は友好都市提携を結んでいるらしく、街の公園には桃太郎の像が建っていた。日本とブルガリアのつながりがこのプロブディフにあるとは。岡山駅前にある像より小ぶりだが、形はそっくりだ。
岡山とプロブディフがなぜ友好都市の縁組を締結したのかは、調べてみたがあまり判然としなかった。昭和44年に駐日ブルガリア大使から打診があったためとのことであるが、なぜ岡山だったのだろう。
プロブディフで発見されたローマ時代のモザイク床の展示を覆うように立てられた博物館がある。モザイクの上に敷かれたガラスの床の上を歩き回れるという趣向を凝らした展示方法で、キプロス島でみたモザイク画とはまた違った感動を得られる。
プロヴディフからルセ
ブルガリア第二の都市プロブディフから、第五の都市ルセへ向かうことにする。バスも出ているが、高速バスはすでに死ぬほどたくさん乗っているので完全に飽きてしまった。私はバス旅よりも鉄道旅行のほうが好きなので、極端に不便なルートでなければ鉄道を使いたい。日本では多くの都市間移動で鉄道が最速の手段であることが多い(バスのほうが速くて安いのは大阪ー徳島間くらいのものだろう)が、鉄道の品質が高くない東欧エリアではそうでない。大抵バスのほうが早く着くし、数社が競争しているから値段も安い。それでも鉄道旅の持つ旅情の色濃さといったら、もうバスなんかとはまったく比べものにならない。飛行機より遅く、バスより高くても、列車の大きな窓からブルガリアの景色を眺めてのんびりと気宇壮大な旅を楽しもう。
プロブディフ駅のカウンターでルセまでの切符を買う。正確を期そうと、ポケットに入ってたレシートの裏に日付と行きたい駅をキリル文字で書いてカウンターの女性スタッフに手渡す。一撃で伝わったようで、笑いながらチケットを発行してくれた。ルセまでの距離は200km程度で、日本で言えば東京から郡山くらいの距離だ。200kmなんて新幹線を使えば70分だが、ブルガリア国鉄だと8時間半かかる。焼け石に水かもしれないが、ちょっとでも快適な移動ができないかな、と思ってファーストクラスの席を予約してみた。正直座席のクオリティや快適さについてたいした差はないとはいえ、それでも価格は1400円程度。ファーストクラスはガラガラだし、コンパートメントにはコンセントもある。このルートを鉄道で移動する日本人なんていないだろうが、個人的にはオススメだ。
出発するくらいの時間から降り始めた雪は、乗車後も降り止むことなくブルガリアの大地を白く塗りつぶしていく。小さな駅でも駅員が待っていて車掌となにやらやりとりをしている。再び走り出した列車は小さな街を通り抜けていく。ブルガリアの国土は意外とボコボコしている。時折止まる停車駅の近くには一軒家の建ち並ぶ集落がみえる。ああ、私はこの景色が見たかったんだ。鉄道の移動を選んでよかった。
とはいえまぁ8時間以上座ってぼんやりと景色を見ているというのは少々長い。しんどい距離である。到着した終点のルセ駅に降り立ち、振りかえってここまで運んできてくれた列車をみて息を吐いた。東京駅から鹿児島まで新幹線でいくよりも二時間長い時間がかかっているが、移動距離は7分の1にとどまる。
到着が夜遅くだったのは予定通りだったので、事前にルセ駅から歩いてすぐのホテルを予約しておいた。これはとても正しい選択だった。頭と肩にのる雪を手で払い、ホテルのレセプションでチェックインする。ホテルに隣接するようにブルガリア料理を提供するパブがあり、地元の人のにぎやかな声がみちている。夜8時にもなればおなかもすく。ここで夕ご飯を食べることにした。
お店に入ってテーブルに着き、まだ飲んだことのなかったタラトルというスープとブルガリアのビール、そしてシレネチーズがまぶされたブルガリア流のフライドポテトを注文する。ウェイトレスさんは「え、タラトル?それ飲んだことある…?」と聞かれたので「ないです!」と答えたら爆笑されてしまった。ブルガリア人しか飲まない謎スープを地方都市ではめずらしい外国人が注文するということが珍しいみたいだ。「オススメできないですか?」と聞いてみると「私は好きだしおいしいと思うけど…、いや、わかった!飲んでみて!おいしいから!」とのことである。ブルガリア人が好きな料理ならきっとわたしだって好きになるだろう。私は好き嫌いがないのだ。任せてくれたまえ。そう思って飲んでみた。味はややしょっぱいヨーグルトにみじん切りしたキュウリ、その上にディルがまぶされた冷製スープという想像通りの味だった。「おいしい?」とさっきの店員さんに聞かれたので「おいしいよ!タラトル大好き!」と返した。これがおいしかったのは本当で、ついハマってしまった私はスーパーで売られているタラトルのペットボトル(出来合いの商品があるのだ)を買ってホテルでひとり飲んだりしていた。
Ruse
ルセの街は、ソフィアやプロブディフに比べるとかなり小ぶりだ。一日あれば概ね回りきれると思う。大きな公園を中心として目抜き通りが伸びている。
夏にくるときれいな噴水が稼働している。オフシーズンのいまは凍結防止のためか、水は抜かれていて周りの銅像たちは静かに春を待っている。
ブルガリアとルーマニアを分け隔てているドナウ川。美しき青きドナウのワルツで知られる川だが、その色は薄緑いろをしている。曇天の今はもはや灰色だ。この川はドイツから2857kmもの長旅を経て、ルーマニア最東部のドナウデルタから黒海にそそぐ。川の対岸はルーマニアの国土だ。国境が川に沿って引かれているというのはヨーロッパのいたるところで見かけるが、シェンゲン協定を結んでいるエリアが国境を感じさせることは少ない。ちょっとしたモニュメントがあったりする程度だ。ただ、ブルガリアもルーマニアもシェンゲン協定を結んでいないため国境は厳然と存在する。パスポートなしでの移動はできない。
とはいえパスポートを持ってドナウ川にかけられた橋を北へ向かえばたいした審査もなくルーマニアへ入国できる。住民の往来もそれなりに多いようで、両都市のあいだは一日中高速バスで結ばれている。せっかくなのでここからバスにのり、次の目的地へ行ってみることにした。米原万里の「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」に出てくるルーマニア外交官の娘アーニャが作中で祖国の素晴らしさを表現豊かに語っていたことを思い出す。ルーマニアとはどのような国なのだろう。楽しみだ。
ところでルセの街を歩いていると時折みかける日本語っぽい名前の銀行がある。徳田銀行。その正体は日本の医療法人徳洲会が当地で運営する金融機関だ。徳州会はブルガリア国内でも最大規模の病院を運営するなど、日本国外務省からも急な怪我や病気の際にオススメされている医療機関でもある。噂によればトクダバンクでは日本円の両替にも対応しているらしい。
結び
キリル文字の発祥の地であるブルガリアでは、メニューも地図も当然キリル文字で表記される。そのため最初は少し難しいが、目に入るブルガリア語の単語をかたっぱしから練習がてら(調べつつ)音読していたらかなり読めるようになった。文字が読めるようになるだけでも滞在の快適さはどんどん向上していき、気づいたときにはブルガリアへの移住を半ば本気で検討するようになっていた。
とにかくこれまで私が行った国のなかでもトップクラスに良い場所だった。観光名所は豊富だし物価も安く治安もよい。個人的には食事もブルガリアにしかないものばかりで楽しく、どれも美味しかった。
世界のあらゆる都市へ敬愛を持ってはいるが、その強度には多少なりの差がある。好きな街と大好きな街があるのだ。日本で言えば大阪と北海道には並々ならぬ愛情を持っていて、コロナ禍で前職のオフィスへの出社が禁止になってからはこの2つの都市(大阪はともかく北海道というリージョンはその範囲が広すぎるが)への愛情を好きなだけ発揮し、長期にわたって滞在していた。
この意識は当然国外にもある。一年あまり過ごしたエストニアの首都タリン、はじめて行ったときからずっと心をつかまれたままのパリ、人生最高の景色と疑うことのないミャンマーのバガン。しかし私が好きになる街というのはえてして意外性というものがまるでなく、どこが一番よかったですかと聞かれてパリですねというつまらない回答しかできないことを気にしていた。
しかしブルガリアはなぜもっと早く来なかったのか不思議に思うくらい好きな国だった。街も食事も人々も、ここでの滞在すべてが自分にピタリと合うように感じた。こんな感覚ははじめてだった。一番よかった街はどこですかと聞かれたら、きっとこれからは、ブルガリアはとてもよかったですよ、と答えると思う。
ブルガリアにいってみませんか。いいところですよ!