ホテル暮らしをやめ、横浜に家を借りた

日本全国のホテルがすっかりからっぽになっていた2021年のはじめ、わたしは東京の自宅を解約してホテル暮らしを始めた。あれから2年が経つ。決して短い時間ではなかったが、あの狂った世界が元に戻ってくれたことはとても嬉しい。

たいへんだったなぁ

ホテル暮らしをしていたこの2年間のうち、ホテル日航大阪で半年ほど過ごしたあと、妹の家に置かせてもらっていた住民票を抜いて海外に転出し、それからずっと世界中の行ったことのない街を転々としていた。出国して真っ先に向かった南極、南米、北米、アフリカにヨーロッパ、アジアにオセアニアと、図らずもすべての大陸を歩き回ることになった。人生の鮮やかなハイライトとして死ぬ間際に思い出すであろうシーンが詰まった日々だった。いい2年間だった。

ホテル暮らしというのは当然ながら旅行と一体化した生活になる。忘れないうちに旅の思い出は記事にしておきたい。海底の砂山が潮の流れにおされて消えいくように、頭の中の記憶も時間の流れとともに霧散してしまう。一度忘れ消え去った思い出は取り戻せないし、そのまま永久に失われてしまうのはすこしさみしい。今のわたしにはもはやこの記事における車内の様子など書きだすことはできない。おぼえているうちに書き出し、数年後の自分に向けてコンテンツを供給しておこう。

2年も住所を持たない状態で暮らしていると、この暮らしのはじめには気づかなかった不便もたくさん見えてくる。最も困るのは金融機関の口座などが簡単に凍結されるということだった。郵便物が不達になると簡単にロックされてしまうし、住所変更したならマイナンバーカードを写真でとってアップロードしろと言われたりするが、マイナンバーカードは住民票を抜いて海外転出の手続きを行うと同時に失効してしまうので提出できない。銀行口座も「非居住者は口座解約」という規約の銀行が多く、そうでなかったとしても送金機能がロックされたり毎月手数料を支払うと非居住者も使えるよ、みたいな謎の機能を有効化する必要があったりする。証券口座はもっとシビアで、非居住者となれば原則として口座解約だ。実家など自由に使える住所があればそこを住所として設定しておけばいいのだが、私にはそういったものがなく、そして実際に私の口座は海外転出中に止められてしまった。細かいことだけど設定していた積み立てNISAなども停止されてしまい、枠が無駄になってしまいもったいないなと感じていた。

旅行中はその街での暮らしについて考えている

毎週ホテルや交通手段を調べて予約する生活に少し飽きてきたこともあり、一度腰を据えて生活できる場所を探してみるか、という気持ちになった。とはいえ家を借りる場所もなかなか決められない。どこでもよかったからだ。日本でもいいし、合法的に滞在できるなら別の国でもいい。出身地の東京でもいいし、気に入って半年ホテル暮らししていた大阪でもいい。ブルガリアの首都ソフィアは暮らしやすかったし、学生時代に住んだエストニアは滞在のビザも取りやすい。あと数ヶ月しか期限はないが、UKのビザもまだ残っている。パラグアイもよかったし、レバノンも楽しかった。旅行をしていると気に入った街はいくつも見つかる。実際にいろんな都市の物件を内見した。しかし本当に決められなかった。ジャムの実験で知られているように、人間は選択肢が多いと一つのものを選べないのだ。ここ数年、わたしはずっと自分の住むべき場所を探し続けている。誰か答えを教えてほしい。

レインボーヨコハマ

結局たまたま話していた友人に勧められたので、その人の近所である横浜駅の近くに家を借りて住み始めた。これまで住んだことがない街だ。2年前に解約した東京の部屋は文京区に所在し、地下鉄の駅から徒歩2分もないという便利な立地だった。しかし部屋はひどく狭いのに築浅であることと立地のせいで家賃は高いわ、それなのに窓からの景色は悪いわ、その上なにも関わりがないのに町内会費だって家賃に加算されていた。横浜の新しい家は町内会費はかからないし、窓からは海が見えるし、寝室とリビングが別の部屋に分離されて60㎡以上と一人暮らしには十分広くなったほか、最寄りが横浜駅となり生活がだいぶ便利になったこともありがたい。巨大な百貨店やファッションビル、専門店街などの商業施設が集積している首都圏有数の繁華街の近くに住めるというのは、公共交通と徒歩以外の移動手段を持たない自分にとってとても便利だ。東京に住んでいたときには月になんども往復していた羽田空港までのアクセスが便利なのも嬉しい。その反面、成田空港へは遠くなった。横浜駅から成田空港までを直接結ぶ成田エクスプレスがあるので不便ではないにせよ、片道の運賃が4000円以上する。あまりにも高いので成田エクスプレスを使うことはないが、とはいえ成田空港までの距離については横浜転入後、すでに何度も何度も「遠いな……」と空港アクセス特急の車内で歯がみしている。だいたい新鎌ヶ谷駅くらいで去来する感情である。

あいかわらずなにも無い部屋

そんな新居なのだが、例えばこの記事を書いている6月、私が寝室のベッドで寝た回数は指で数えられるほどしかない。結局のところ旅行趣味の意欲は今でもくすぶっているせいで家主が日本にいすらしないというのに無人の家の家賃は絶え間なくかかりつづける。なんとまぁもったいないことだろう! それでも予約不要で帰る場所があるというのは気が楽になる。とりあえずはこの街で暮らしてみよう。いまの現状を「暮らす」と表現できるものなのかどうかはよくわからないけど。