めちゃめちゃ運転してWindows 10の謎ビーチにいってきた

法的には運転できるステータスであるとはいえ、わたしはクルマの運転に対して非常な恐怖を感じており、10年以上前に教習所を卒業して以来、自動車の運転はこれまで一切やってこなかった。バイクの免許を取ってから何度か移動手段として使ってきたが、バイクに比べて明らかに巨大な鉄の塊を移動させることへの抵抗感が薄れることはついぞなく、ゴリゴリのペーパードライバーとしてならしたものである。

現在、自分の妹がニュージーランドで暮らしており、さらに私がニュージーランドにまだ行ったことがなかったので、119カ国目の旅行先として向かうことにした。いつかニュージーランドに行ったときにどうしても見たいと思っていた景色もあったので、妹に会うついでにその場所へ向かってみることにした。

私が見たかった景色というのはWindows 10のログイン画面に映るこの海辺である。世界で10億人のユーザーが見たであろうこの景色、実はニュージーランド南島の最北部、ファラリキビーチという場所が撮影地点であるらしい。

このファラリキビーチ、最寄りの都市ネルソンから片道150km、大変な僻地で当然ながら鉄道もないしバスもない。それどころか周囲には人家だってない。地図を見ればわかるようにハイウェイもなく、ひとたびネルソンを離れれば山にへばりつくように敷かれたつづら折りの道路をひたすら上下していくという、ペーパードライバーにはいくら何でも難易度の高いルートでしかたどり着くことができない場所なのだ。

ニュージーランドは公共交通といえるものが全く発達しておらず、観光客がレンタカーなしで移動しようと思うと基本的にバスしか選択肢がない。さらのそのバスも多くは都市間を結ぶためのものでしかなく、この国を観光するにはさして便利でもない。強烈な車社会であるニュージーランドでは、クルマがなければもはやなにもできないと言っても過言ではない。日本国内の離島や山間部くらいなら一緒に行ってあげるよという優しい友達も見つけられたが、わけのわからない僻地の岩場を見に海外まで行こうと声を掛け、そう簡単に首肯してくれる知り合いはいない。畢竟到るは諦念のみである。しかたない、腹をくくろう。現地でレンタカーを借り、往復300km、海外の道を走ることにした。どうしてもクルマを運転しなくてはならないというタイミングがいつかは来るとわかっていた。しかしその「タイミング」の到来を自動運転車の普及までできる限り先送りするため逃げつづければ『勝ち』であるとずっと考えていた。私は負けてしまったのだ。

棺桶

ネルソン空港の駐車場には自分の名前が印刷された紙がダッシュボードに置かれたクルマが停車していた。せっかく取得した国際免許証は誰かに確認されることもなく、鍵の受け渡しもない。ただこれから乗るクルマがそこに佇んでいる。扉を開け、リアシートに荷物を置き、運転席に腰掛け、ダッシュボードから鍵をとりだし、頭を抱える。どうしてこんなことになってしまったのだ。楽しい旅行のつもりだったのに、目の前が暗くなる。空港から今日とまる宿までの、たかだか2kmの運転がすでに嫌すぎる。エンジンもかけずに運転席に座ったまま、きづけばスマホをとりだし「くるま こわい」とか「運転 恐怖 克服」というキーワードで検索していた。

わたしにとって恐怖の象徴である自動車の運転を、私はこれまで 人に押しつけてきたのである。なんと罪深い人間であろう。レンタカー代とガソリン代を出すから運転してくれないか、というのはまったく対等な条件ではない。「すいませんが治療費は払うのであなたのおでこをカッターで切ってもいいですか?」と言われていいですよという人はいないだろう。金を払えばなにをしてもいいと考えていたのか? 自分がたいそう姑息な人間であったことを思い知らされる。

とはいえ、ひとたびエンジンを掛けていやいやながら外の道を走ってみると、ニュージーランドの道は世界一ペーパードライバーに優しいのではないか、ということを実感できる。道路は驚くほど広いし、人口5万人足らずのネルソンではほとんど渋滞することもない。計画都市なので道はひたすらまっすぐ通っている。路上デビューにぴったりだ。一刻も早く宿にたどり着いてエンジンを切りたかったが、明日朝から始まる長距離移動の練習のため、しばらくうろうろと街中をあてもなく走り続けた。

おもいきり遠回りして到着した宿の駐車場もやたら広いので助かった。多くの国で一般的な駐車方式であるところの前入れタイプなのもありがたい。車社会の国々では、週末にまとめて大量購入するので荷物の出し入れがしやすい前入れ駐車が主流なのだという。バックで駐車するなんて芸当、駐車アシスト機能がついていないクルマでできる気がしない。

出発

夜が明けた。睡眠は十分だ。前日に宿の前のグロッサリーで買ったオレンジジュースのボトルとスマホの充電ケーブルをもって出発することにする。まだ朝早い時間帯なので宿の周りにはだれもいない。これならそれほど怖くないぞ。

ニュージーランドの交通ルールはUKに準じており、つまり日本と同じ方式だ。とはいえ日本でも運転しないのでどちらかの方式に慣れているということもなく、右側通行だろうが左側通行だろうがなにも関係ない。できるだけ前のクルマにおとなしくついていくことを考える。気を取られそうなので車内に音楽を流すこともせず、黙々と走り続ける。いくら進んでも地図アプリの示す「目的地までの距離」がなかなか縮まらない。片道150kmというのは本当に遠い。

全行程を通しで運転することなど自分には到底できない。後続車が近い距離に現れたらウィンカーを出して路肩に寄せてこまめに追い抜いてもらう。クラクションを短くならしてお礼を言われたりするが、プレッシャーからの解放に対してお礼を言いたいのはこっちである。ニュージーランドでは最高時速が110キロなのだが、そんなスピードでずっと運転することも不可能だ。私には時速60キロ程度が限界だ。それを超えるスピードで眼前に展開する景色は私の頭では処理できない。CPUが100%に張り付いてなにもできなくなってしまう。専用ハードウェアがないとリアルタイム処理が追いつかない情報量だ。

途中から舗装もなくなる

単純な道をひたすら走りつづけると遠近感がわからなくなってくる。不思議の国のアリス症候群というのはこんな気持ちになるのだろうか。その気配を感じるとすぐにクルマを止めて休憩を挟む。安全第一だ。頭の中をJRの運転安全規範がリフレインする。「疑わしい時はあわてず、自ら考えて、最も安全と認められるみちを採らなければならない」。

進めば進むほど「いま進んできた距離と同じだけ帰り道で運転しなきゃいけないのだ」というプレッシャーは増え続けるし、進めば進むほど「ここまで来たのだから諦めるのはもったいない」というサンクコストも増え続ける。到着するしかないのだ。

野を越え山を越え、長い時間を掛けて最終目的地の駐車場に到着する。思っていたよりもクルマがたくさん並んでいて、もし駐車できる場所がなかったらどうしよう、一番奥までいってからバックすることなんてできるのか、と不安だった。しかしちょうどよく駐車場入り口から一番手前の空間があいていたのでそこにとめてしまうことができた。地面は舗装されておらず、自動車同士の間隔も適当で大丈夫だった。ありがたい。

駐車場からビーチまではあいまいな遊歩道がある。草を食む牛たちを眺めながら、たぶんこっちかな、と海に向かって歩いて行く。

到着

曇天のファラリキビーチは端から端まで灰色で、世界の果てみたいに不吉な景色だ。ニュージーランドのビーチと聞いて想像していたファンシーでアメイジングな明るさも彩りもない。使われているカラーパレットは西新宿と同じだ。

薄ら寒い砂浜を歩き、海に向かってみる。人はほとんどいない。駐車場にあった20台ばかりのクルマの乗客たちはどこへいってしまったんだと思いつつ海辺を散歩する。

あ!!!!!これだ!!Windows 10のログイン画面で見る謎のビーチだ!!!!情シスの聖地にたどりついた!

再掲

残念ながら霧雨がふるほど曇っていて、しかも干潮時じゃないので微妙に同じ画角から眺めることもできないのだが、しかし奇妙な満足感がある。WindowsXPのソノマとか、MacOSの青い池よりも遙かにアクセスが悪い場所へ、自分でクルマを運転してたどり着いたという感動がじわじわと沸く。たぶんあと60年くらい人生が続くと思うので、その中でもう一度この場所に行く機会があれば、そのときは天気と干潮時間を確認してから訪れたい。色合い的には早朝か夕暮れ時に来るべきなのだろう。

しばらくうろうろしていると、すこしずつ空に色がもどってきた。

海辺の潮だまりにはアザラシの子供みたいな生き物が集まりじたばたと遊んでいる。なんともかわいい。

足下をみると…

幾何学的な模様があり目を奪われる

だいたい満足できたのでネルソンまで戻ることにする。往路はいつまでも着かねぇなと思っていたのに、復路は驚くほど短く感じた。運転に感じる恐怖もだいぶ往路に比べて薄まっており、運転スキルがこの短時間でメキメキと上がったことを実感する。戦いの中で成長するタイプなのかもしれない。

返却時にガソリン満タンにするというルールだったのでガソリンスタンドに行くことにする。往復300kmの運転で、燃料の残量は1/3程度になっていた。

目についたすいているガソリンスタンドに入店し、給油機にちかづけて停車させる。運転席から給油口を開ける。ドアをあけて給油機の前に立ってから給油口がクルマの反対側にあることに気づく。右手で給油口を開ける操作をしたのにクルマの右側に給油口がないのだ。調べてみるとメーカーによって給油口の位置はバラバラらしい。どうみてもホースはそんなに伸びないし、恥ずかしいなと思いながらもう一度クルマに乗り込み、ガソリンスタンドの周りをぐるりと回って再度入店し、同じことを繰り返す。スタッフのいないセルフ給油方式でよかった。

給油口に差し込んだ給油機のトリガーをガショガショと引き、タンクから液面が見えるくらいまでいれる。使った給油機の番号を覚えてガソリンスタンド併設のコンビニに入り、レジで番号を伝えて支払う。33リットルで93ニュージーランドドル。1リットルあたり250円だ。想像していたよりもかなり高い。こんな自動車社会なのに、この国の人たちはこんなに高いガソリン代を日々支払っているのか。

相棒

返却期限まではまだ数時間余っていたが、ガソリンをまた入れに行きたいとも思わないので返してしまうことにした。借りるのも適当だったが返すのも適当で、クルマを元あった場所に戻したらそれでおわりとのことである。駐車はだいぶ下手で斜めになってしまった(隣があいててよかった)ものの、とりあえずそれっぽい場所に停車させた。すると、たまたま近くにいたらしいレンタカー業者のスタッフが近づいてきて「旅はどうだった?」とフレンドリーに聞いてくる。楽しかったよ、ファラリキビーチに行ってきたんだと答えると、それは素晴らしい、でもビーチをクルマで走ってはいないよね、それはだめだよと楽しそうに言われる。もちろんそんなことはしていないよと答えて鍵を返した。彼女はさっきまで私が乗っていたクルマのエンジンを掛けてガソリンの残量が最大値を指していることを確認し、とくに外装も内装もチェックせず、私の下手な駐車も直さずにクルマの鍵を掛けることもなく去って行った。ああ、これですべてが終わった。私が借りたクルマが棺桶になることはなかった。

インド料理屋

レンタカーの返却により、私はすべての軛から逃れた。緊張の糸が切れる。徒歩という安心安全な移動手段を使って適当なレストランに入りニュージーランドのワインを頼む。ニュージーランドでは「飲んだら乗るな」ということはなく、酔っ払ってなければ運転してもよい、という価値観の国だ。しかし私のようなペーパードライバーは運転前に一滴も飲まないに超したことはない。前日からお酒を断っていたのでとびきりおいしく感じる。もう運転しなくてもいいのだ。もうお酒を飲んでもよいのだ。

自転車だってそのまま乗せられる

ネルソンには街を巡るバスが走っている。しかし朝7時から夜7時までのみの運行で、30分に一回くらいの頻度となると、バスを使うのは外国人と地元の老人しかいない。

バスの中からはニュージーランドの青い海が見える。海をじっと見ていても事故にならない。移動中に両手でカメラをもって写真を撮ったっていい。車道に現れる標識の意味を理解しなくたっていい。昨日抱いた緊張から解放されて見る景色はこのニュージーランド旅行で一番美しいものだった。やはり私にはバスや電車が合っている。これからの旅先での交通手段にレンタカーというオプションが増えたのは事実だが、あくまでも最終手段、アルティメットウェポンでありつづけると思う。これからも自動車の運転を極力回避できるよう努力していきたい。そして運転を代わってくれる人をできるだけ労っていきたい。

あとで知ったこと

今回レンタカーを借りた街ネルソンを拠点にした、日本人向けの送迎・運転代行サービスが存在していた。今日現在で一日プランの料金は360ドル。レンタカー代とガソリン代を自分で払ったとしたら差額は200ドルほどである。日本円で18000円程度だ。こちらを利用すればよかった。マジでそうすればよかった。完全にリサーチ不足だった。